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クォーター侍!赤穂浪士の中には何と古代中国の思想家・孟子の末裔がいた!

クォーター侍!赤穂浪士の中には何と古代中国の思想家・孟子の末裔がいた!:3ページ目

吉良上野介、討ち取ったり!

そして元禄15年(1703)12月14日、赤穂浪士たちが吉良邸へ討ち入ります。1時間かけて探しても肝心の吉良上野介が見つけられなかった赤穂浪士たち。

近くの炭小屋を唯七たちが射かけると2人の武士が飛び出してきました。その2人を斬り捨てると白髪の老人が脇差を突きたてながら飛び出して来たので間光興(はざまみつおき)が初槍を浴びせ、唯七が2番太刀を浴びせ絶命させました。

検死の結果、吉良上野介とわかるとその功績から2番目に長矩へ焼香をあげることができました。

討ち入り後、唯七は毛利家の屋敷で預けられることになります。そして江戸幕府の命令により切腹。32歳の生涯に幕を閉じます。

また唯七は赤穂浪士の中で、唯一漢詩で辞世の句を残しています。

4ページ目 おっちょこちょいな一面も…

 

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