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沖田総司はなぜイケメン設定に?若くして命を落とした天才剣士・沖田総司ってどんな人?

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1863(文久3)年、「浪士組」の結成に伴い京都へ入り、その後新選組の一番隊組長となりました。有名な「池田屋事件」のときは真っ先に斬り込んでいったものの、直後に倒れて戦線離脱。

この時の病気は当時不治の病だった肺結核で、一説にはこの後新選組の活動から離脱したともいわれています。

1867(慶応3)年頃からは病状が悪化し、江戸に戻って千駄ヶ谷の植木屋の離れで療養生活を送りました。

沖田の師匠である近藤勇が斬首されたのは1868(慶応4)年4月25日でしたが、彼はそのことを知らず師匠を気にかけたまま、そのわずか2カ月後に亡くなりました。25歳でした。

沖田はなぜ「イケメン設定」に?

沖田総司は大河ドラマなどでは若くて長身のイケメン俳優によって演じられることが多いのですが、本当にイケメンだったのでしょうか?

実は彼は若くして亡くなったこともあり、写真や肖像画など容姿の分かる資料がほぼ残されていません。
逆を言えば「どのような容姿にでも想像することが可能」だったのです。

「若くして病で命を落とした最強の天才剣士」
このイメージが若い女性たちのハートをガッチリと掴み、彼は新選組の中で土方歳三と並ぶ人気者となったのです。

 

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