将軍家のプライベートサロン!江戸時代の大奥の構造はどのようになっていたの?
大奥は江戸城の中で将軍正室をはじめ側室やその子供たち、その他500~1000人以上の奥女中が暮らした将軍家のプライベートサロンでした。今回はその構造についてご紹介します。
こちらの記事も合わせてどうぞ
3代将軍・徳川家光の男色がきっかけ!?江戸時代の大奥が巨大ハーレム化した驚きの理由
今なお時代劇などで多く映像化され、人々の心をとらえ続ける「大奥」。私たちがよく知っているのは将軍専用の巨大ハーレムとして厳格に整備された大奥ですが、もともとは将軍の家族の居住地としての役割のみで、家康…
大奥に入るには「御鈴廊下」
基本男子禁制の大奥は中奥から完全に仕切られ、唯一それをつなぐのが御鈴廊下でした。将軍が大奥に入る時に鈴が鳴りわたり、頑丈な鍵が開けられたのです。
長い御鈴廊下の左右に見目麗しい奥女中がずらりと並べられ、将軍がその中央を品定めしながらゆっくりと進んでゆく……。
大奥といえばこの御鈴廊下のシーンを思い浮かべる人も多いでしょう。
御広敷向(おひろしきむき)
大奥は男子禁制とはいえ、その管理や運営には少なからず男手が必要でした。そこで、男性の役人が詰めていたのが御広敷向です。
役人は御広敷役人と呼ばれ、大奥の管理事務局のような役割を担っていました。男性がいるので、奥女中が寝起きする長局との間は「七ツ口(ななつぐち)」で仕切られていました。
七つ口は外部と大奥を繋ぐ玄関でした。用事で七つ口にやってきた奥女中はどんな事務的な会話でも、男性を見ると自然とうっとりしてしまったのでしょう、「七つ口 男をおいしそうに見る」という川柳が残っています。
ページ: 1 2