武功も出自も「記録ゼロ」でなぜ出世?天下一の補佐役・豊臣秀長を支えた伊丹甚太夫とは何者なのか
兄・豊臣秀吉の天下一統を支え、後世に天下一の補佐役と称された豊臣秀長ですが、その活躍は多くの家臣に支えられてのものでした。
今回は秀長に仕えた家臣の一人、伊丹甚太夫(いたみ じんだゆう)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
ほとんど謎の人物
伊丹甚太夫(神太夫とも)は生年不詳、親兄弟どころか氏素性もハッキリしたことがわかっていません。
苗字の伊丹が出身地であるとしたら、摂津国伊丹(兵庫県伊丹市)にゆかりがある人物と考えられるでしょう。
そんな甚太夫が秀長に仕官した正確な時期はわからないものの、伊丹出身と仮定した場合、秀吉・秀長が播磨国平定に乗り出した天正5年(1577年)以降と考えられます。
ところで甚太夫の甚(じん)とは陣に通じ、当時は甚内・甚助・甚兵衛など多く用いられていました。
太夫(大夫)は四等官の最上位(かみ)で、大膳大夫(武田信玄)や左京大夫(北条氏康)などが有名ですね。
総合すると、甚太夫とは「陣中における最上位者」すなわち大将を意味する名前だったのかもしれません。
果たして自称だったのか、功績によって名乗りを許された(与えられた)のか、あるいは別にそこまで深く考えていなかった可能性も高そうです。
「それがし伊丹甚太夫と申す。羽柴様にお目通り願いたい!」などと意気込んで、自分を売り込みに行ったのでしょうか。
どんな経緯で秀長に仕えたのかも不明ですが、両者の出会いなど実に興味深いですね。
