なぜ織田信長らは「欠点だらけの火縄銃」を欲しがったのか? 弱点だらけの新兵器が戦の常識を変えた理由
読者の皆さんは歴史の暗記の際に「以後(いご)、予算(よさん)が増える」と言う語呂合わせを使ったことはありませんか。
これは「以降=15」、「予算=43」で、あわせて1543年。そうです、鉄砲伝来の年号なのです。
鉄砲、すなわち火縄銃は、日本の合戦の様相を一変させた武器として知られ、一般的には、1543年(天文12年)8月、大隅国種子島に漂着した倭寇船に乗っていたポルトガル人によって伝えれられとされます。
そしてこの時から半世紀に満たない間に鉄砲は急速に普及し、戦国時代の主要な武器となったのです。
なかでも堺を押さえていた織田信長や豊臣秀吉は合戦において鉄砲を有効活用したことで知られます。
本稿ではこの鉄砲と言う新兵器について、その長所・短所も含めて紹介します。
※関連記事:
戦国時代のハニートラップ!日本初の火縄銃づくりに貞操を捧げた17歳の乙女「若狭」【前編】
織田信長を火縄銃で狙撃した謎多き男「杉谷善住坊」とは?狙撃の理由やその後に迫る
鉄砲以前の戦場では「槍」が主役だった
鉄砲が登場する前、戦場での主要な兵器は何だったのでしょうか。
その答えは、ずばり「槍」です。いや槍は鉄砲が出現後も、戦場での主役としての地位を保ち続けました。
戦国時代とそれ以前の戦いの大きな違いは、戦場で働く兵の数、すなわち兵力と言っても差し支えないでしょう。
戦国大名たちは激しい戦いに勝ち抜くために、動員できる兵数を増やしました。その多くは自領に暮らす農民たちで、彼らを活用することで足軽軍団と呼ばれる兵力を構築したのです。
いくら戦乱続きの世だからと言っても、農民たちはプロの戦闘員ではありません。そこで大名たちは扱いやすく、集団で威力を発揮する3〜5メートルの長槍を足軽の武器として採用しました。
多数の足軽が密集し、それこそは付け入る隙間がないほど槍をずらりと並べ、前に突き出した槍衾(やりぶすま)は、容易に敵を寄せ付けませんでした。
騎馬隊が突っ込んでくれば、馬上の武者に向けて槍の穂先を構え突き刺し、歩兵が集団で挑んでくれば、槍を高く掲げて振り下ろし叩き潰すという戦法を取ったのです。
この鉄壁とも言える槍衾に対抗する武器の一つが弓でした。射程が50~100メートルとされる弓から雨あられと矢を放ち、敵の隊列を乱すなど槍衾を崩すのに弓矢は有効な武器でした。
しかし、さすがの弓も厚い甲冑を確実に貫通するだけの威力は持っていません。そこでこの戦国独特の戦い方に対応可能な武器として、新兵器の鉄砲が注目されたのです。




