『豊臣兄弟!』光秀の心は“あの時”から壊れていた…呪縛を解かれた信長「ぜひもなし」は豊臣兄弟へのアンサー
『時は今じゃ』
明智光秀の言葉としてあまりにも有名なこのセリフ。
まさかの織田信長(小栗旬)の甥・織田信澄(緒形敦)が光秀に言い、謀叛を焚き付けるとは。
「信長を討つことだけが私の生きがい……偽りの顔でひれ伏してきた。あなたと私は同じ。」と信澄。
ただまっすぐに信長を討ち取るだけを目的に、20年以上己を隠し「上様には感謝しかない」と忠義者を演じた、その時間の長さと信澄の執念に驚く光秀でした。
「豊臣兄弟!」第27回『本能寺の変』。
原因に関してはさまざまな説があり、多彩なストーリーで表現されてきた本能寺の変。
けれども、ドラマでは、その“さまざま”が集合体として信長を討ち取るために登場し、『兄弟』をベースに描くという新しいレジェンドになりそうな「本能寺の変」となりました。
光秀はなぜ信長を討ったのか?
信長はなぜ討ち取られなければならなかったのか?
有名なセリフや出来事を新しい解釈で紡ぎ、『兄弟』(兄妹も)を軸に展開した第27回を振り返り、考察してみました。
比叡山の殺戮を公方様に責められたときから
明智光秀(要潤)の心は、とうに壊れていたのでしょう。
第16回『覚悟の比叡山』。「織田家の毒となれ」と大切な公方様こと足利義昭(尾上右近)に命じられた光秀。
信長の公方様への疑いを晴らすために、比叡山延暦寺にて、小屋に隠れていた何の罪もないたくさんの女・子供たちを殺しました。
凄惨な殺戮の現場に呆然と立つ光秀。信長の命令にしたがっただけなのに、この非道な行いを公方様になじられ、光秀はやりきれない思いで伏していました。
このとき心に芽生えた“影”は、その後さまざまな出来事によってその色を濃くしていったのです。
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今回描かれた、かの有名な徳川家康(松下洸平)の『安土饗応』で、鯛に毒が入っていたことがわかり「犯人の心当たりがあるだろう」と、光秀は、信長に叩かれる・蹴飛ばされる激しい虐待を受けました。
毒を入れた犯人は信澄。もう謀叛の心を隠そうともしないようです。光秀は、信澄を庇った時点で反旗を翻したのも同然でしょう。
実際は、『兼見卿記』『信長公記』の記述によると、天正10年(1582)5月、家康の響宴を行い、光秀が響宴役に任命されるもその後外された…という記録はあるようですが、理由や毒の件などは不明です。
2ページ目 「わしを巻き込むな」の公方様の言葉に慟哭した光秀


