『豊臣兄弟!』光秀の心は“あの時”から壊れていた…呪縛を解かれた信長「ぜひもなし」は豊臣兄弟へのアンサー:2ページ目
「わしを巻き込むな」の公方様の言葉に慟哭した光秀
ドラマでは、居合わせた家康たちもドン引きするほどの暴力を振るわれた光秀ですが、それでブチギレした様子もありませんでした。けれども、心の中では謀叛の心を固めていたのでしょう。
その大義名分が欲しかったのか、公方様への書状を斎藤利三(内藤剛志)に託します。
けれども公方様からの返事は……「もう、わしを巻き込むなと仰せにござりました」。
激情にかられ軽率な行動をするまいと己を律していた光秀の、心の堤防が崩れた瞬間でした。
まさかの公方様が突き放したことが、謀叛を起こす一番の引き金になろうとは。光秀は『敵は本能寺にあり』と謀叛を決意しました。
実際は、ドラマ本編後の「紀行」でも取り上げていましたが、最近「本能寺の変当日、光秀は現場にいなかった」という学説が出ています。
金沢市に現存する古文書『乙夜之書物』(加賀藩に仕えた兵学者、関屋政春著)に記されているそうです。
光秀は、本能寺から6km離れた鳥羽に控えていて、当日本能寺をとり囲んだのは、斎藤利三と光秀の重臣・明智秀満。
それを、斎藤利三の三男・利宗が語った言葉として「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」と記されているとか。
また、その古文書には
▪️光秀軍の兵士たちは、京都の桂川河原で夜中に休憩を取っていた際に、本能寺へ向かうことを初めて告げられた
▪️襲撃された信長は乱れ髪で白い帷子を着て光秀軍を迎え撃った
などの様子の記述もあるそうです。
新しい学説を取り入れ、ドラマでは「本能寺の変」の黒幕ともいわれる斎藤利三が「信長の首をとれ」と指揮をふるう様子が描かれていました。
