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『豊臣兄弟!』に千利休の弟子「利休七哲」は登場する?古田織部・細川忠興・蒲生氏郷ら戦国武将と茶の湯

『豊臣兄弟!』に千利休の弟子「利休七哲」は登場する?古田織部・細川忠興・蒲生氏郷ら戦国武将と茶の湯

戦国時代に流行した茶の湯を語る上で、欠かすことのできない千利休(せんの りきゅう)。その多大な功績は、後世に茶聖と称されるほどでした。

そんな千利休には多くの弟子たちがおり、中でも特に優れた者たちが利休七哲(りきゅうしちてつ)と呼ばれています。

今回はそんな利休七哲の顔ぶれを一挙紹介。果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」には登場するのでしょうか。

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10人以上もいた?七哲の顔ぶれ

利休の高弟7人を論(あげつら)った初出は、江戸時代初期に松屋久重が編纂した『茶道四祖伝書』と言われています。そこには以下の7人が「利休七人衆」として挙げられていました。

  • 蒲生氏郷(がもう うじさと。信長の娘婿)
  • 芝山宗綱(しばやま むねつな。芝山監物)
  • 高山右近(たかやま うこん。演:市川知宏)
  • 古田重然(ふるた しげなり。古田織部)
  • 細川忠興(ほそかわ ただおき。ガラシャの夫)
  • 前田利長(まえだ としなが。利家の長男)
  • 牧村利貞(まきむら としさだ。牧村兵部)

※五十音順。

彼らが挙げられた理由は利休の孫である千宗旦(そうたん)が評したからだそうですが、どういう基準があったのか、興味深いですね。

後に宗旦の子(利休の曾孫)である江岑宗左(こうしん そうざ)が記した『江岑夏書(こうしんげがき)』では「利休弟子七人衆」として、前田利長を瀬田正忠(せた まさただ。瀬田掃部)と入れ替えていました。

その後も人や著作によってさまざまに入れ替えられ、例えば江戸時代後期に出版された『古今茶人系譜』では織田長益(ながます。信長弟の有楽斎)や荒木道薫(あらき どうくん。村重/トータス松本)、また千道安(どうあん。利休の長男)などが挙げられています。

他にも有馬豊氏(ありま とようじ)や金森長近(かなもり ながちか)が加えられることもありましたが、いずれにしても後世の創作に過ぎず、もはやどんな基準で挙げたのかすらわかりません。

こんな事情により、利休七哲と言いながら実際には10人以上(一説には15人)がノミネートされてしまったのでした。

ちなみにどの説や文献においても必ず利休七哲に入っているのは、蒲生氏郷と細川忠興だけです。よほど茶の湯に精通していたのでしょうね。

また蒲生氏郷・細川忠興に芝山宗綱を加えた3人を「利休門三人衆」と言うそうですが、これもまた後世に創作されたものに過ぎません。

今回は千利休の高弟である利休七哲について紹介してきました。いずれも後世の創作でしたが、千利休が非業の死を遂げた後、その後継者となったのは古田織部だったと言われます。

他の者たちに比べて大身ではありませんでしたが、茶の湯に対するひたむきで真摯な態度が評価につながったのかもしれませんね。

果たして彼らが大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場するのか、楽しみに見守っていきましょう!

※参考文献:

  • 加来耕三『利休と戦国武将 十五人の「利休七哲」』淡交社、2018年3月
  • 桑田忠親『古田織部の茶道』講談社学術文庫、1990年7月
 

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