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【豊臣兄弟!】右腕切断も恩賞はなし…秀吉の影武者・犬飼秀長が背負った過酷すぎる生涯

【豊臣兄弟!】右腕切断も恩賞はなし…秀吉の影武者・犬飼秀長が背負った過酷すぎる生涯

戦国時代、大将の姿は軍の士気そのものでした。もし「秀吉がいない」と知られれば、敵は一気に攻めかかり、味方は動揺する。だからこそ、命がけで大将の身代わりを務める“影武者”の存在が必要とされたのです。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で池松壮亮が演じている羽柴秀吉にも、そんな危険すぎる役目を背負った男がいました。

犬飼秀長(いぬかい ひでなが)。

中国大返しの裏で秀吉の本陣に残り、山崎の合戦では秀吉と間違われて右腕を失ったとも伝わる、知られざる忠臣です。今回は、秀吉の天下取りを陰で支えた影武者・犬飼秀長の生涯を紹介します。

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秀吉の影武者となる

犬飼秀長は天文17年(1548年)、犬飼家長(いえなが)の子として誕生しました。寧々(浜辺美波)の父である浅野長勝(宮川一朗太)の従姪(いとこおい)であり、秀吉の又従兄弟にあたります。

3歳の時に父を亡くして祖父の犬飼長恭(ながやす)に育てられ、15歳で家督を継承しました。そして永禄8年(1565年)に織田信長(小栗旬)へ仕官し、秀吉の配下となります。

秀吉に従って各地を転戦したものとみられますが、中でも存在感が際立ったのは天正10年(1582年)の中国大返しでした。

6月2日に起きた本能寺の変で信長が横死を遂げ、秀吉としては早々に毛利氏と和睦し、仇討ちに馳せ戻りたいところです。

しかし毛利氏に信長の死が知られれば、和睦を反故にして秀吉の背後から攻めかかって来るでしょう。

そのリスクを最小限に抑えるには、秀吉自身が在陣して浮足立っていないことを示す必要があります。そこで浅野長政(大地伸永)が献策しました。

「犬飼殿を影武者に仕立ててはいかがでしょうか」

秀吉はその献策を採用し、犬飼秀長は秀吉の影武者として本陣に居残ったのです。その様子を知った毛利氏は「秀吉自身がまだ陣にいるということは、京都で信長が死んだというのは虚報だろうか?」と判断したのか、追撃を控えました。

お陰で秀吉は真っ先に中国地方から京都へ馳せ戻る中国大返しを敢行し、犬飼秀長も後から秀吉を追い駆けたということです。

つまり犬飼秀長は身体を張って秀吉の中国大返しを成功に導き、天下人への道を切り拓いた一人と言えるでしょう。

2ページ目 右腕を斬り落とされる

 

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