秀長さえ生きていれば豊臣家は滅びなかった――『豊臣兄弟!』秀吉を狂わせた、弟の「早すぎる死」
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で話題の豊臣秀長。彼の人生は派手さとは無縁のものでした。
戦国時代の古文書には、秀長は若い頃から兄の秀吉に従い、信義に厚く、胆力があり、武功を挙げても驕らない人物として描かれています。ちょっと驚くほどの褒めちぎりぶりです。
※秀長に関しては下記記事でも詳しく紹介しています。
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この評価は、簡潔ながら、秀長の本質をよく表していると言えるでしょう。彼がどれほど徹底して兄を支えたかが分かりますね。
もともと秀長は兄の秀吉と同様に農民の出身で、幼くして農民から武士へ転身するという大きな選択をしました。それ以後、五十代で没するまで秀吉の補佐役として働き続け、戦場でも政務でも確かな成果を上げています。
天正期の豊臣政権では領地の石高や官位の面で徳川家康と並ぶ実力を持ち、名実ともに天下の要人だったのです。
しかし現代では、秀吉や家康に比べて秀長の知名度は驚くほど低いです。
これは秀長が手柄を誇らず、表舞台にも立たず、名もなきナンバー2として徹底して裏方に徹したためでしょう。
彼はまさに縁の下の力持ちであり、参謀としてのキャリアを全うした人物でした。
専業武士の時代
戦国時代の中頃には農業と武士を兼業する中世型の武士から、兵農分離による専業武士へと大きな転換が起きていました。
この専業武士集団を最初に作り上げたのが織田信長であり、秀長はその変革期のただ中で専業武士という生き方を選びます。
織田信長の軍事革命の背景には、鉄砲の普及と貨幣経済の発展がありました。
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まず、鉄砲は素人でも扱いやすく、弓のような長期訓練を必要としません、このため、足軽や雑兵が最前線で戦う新しい戦術が可能になりました。
実際、長篠の戦いでは武田の騎馬軍団が信長の鉄砲隊に壊滅させられ、中世型武士の限界が露呈します。
そして信長は兵をカネで雇い、武器もカネで調達するという近代的な軍団を作り上げました。土地に縛られた主従関係は薄れ、貨幣経済が軍事の仕組みを根本から変えたのです。
この大きな時流によって信長の軍事革命も可能となったのであり、秀長の「農民から武士へ」という選択も、この革命によって成り立ったのです。




