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【豊臣兄弟!】ワガママで秀吉激怒、母のゴリ押しでお引越し…秀吉の養子・羽柴秀勝(3人目)の生涯

【豊臣兄弟!】ワガママで秀吉激怒、母のゴリ押しでお引越し…秀吉の養子・羽柴秀勝(3人目)の生涯

前編のあらすじ

秀吉の養子とされる「3人目の羽柴秀勝」は、九州征伐で初陣を飾り、キリシタンに憧れるもその夢?を断念します。

その後も活躍を続けますが、果たしてどんな生涯をたどるのでしょうか。

【前編】の記事はこちら↓

『豊臣兄弟!』で亡くなった羽柴秀勝は3人いた!江姫の夫「3人目の秀勝」の知られざる正体【前編】

大河ドラマ「豊臣兄弟!」皆さんも楽しんでいますか?豊臣秀吉(池松壮亮)には羽柴秀勝(ひでかつ)という子供がいましたが、実は同姓同名の人物が3人存在していました。 1人目(石松丸秀勝)…

ワガママ言って一時は改易に

九州から戻って同年7月26日に侍従となり、同年10月1日に開かれた北野大茶会では織田有楽斎(信長弟)・蜂屋頼隆(はちや よりたか)・宇喜多秀家(うきた ひでいえ)・細川忠興(ほそかわ ただおき)らと共に茶を献じています。

翌天正16年(1588年)には豊臣姓を賜り、4月に後陽成天皇が聚楽第へ行幸された時は、諸大名の一人として供奉しました。

起請文には丹波少将豊臣秀勝(たんばのしょうしょう とよとみのひでかつ)と署名しており、この頃までに丹波亀山28万石に封ぜられ、近衛少々に叙任されていたものと見られます。

しかし実際には10万石程度だったそうで、天正17年(1589年)10月8日に所領が少ないと秀吉に不満を漏らしました。

秀吉は甥のワガママに激怒して、丹波亀山の所領を改易(全没収)してしまいます。

お情けで越前国敦賀(福井県敦賀市)5万石を与える話もあったそうですが、その話は結局流れてしまいました。

とは言えまったく無一文と言うのも不憫に思ったのか、秀吉は小吉秀勝に美濃国大垣(岐阜県大垣市)4万石を与えられたと見られています。

そのため人々からは大柿少将(大垣)などと呼ばれるようになりました。

秀吉も屈した母のワガママ

気を取り直して天正18年(1590年)の小田原征伐では2,800の軍勢を率いて山中城(静岡県三島市)攻略そして小田原城包囲に参戦。兄の秀次を補佐して武功を上げます。

7月に北条氏政(谷原章介)・北条氏直(うじなお)父子が降伏すると、7月13日の論功行賞において、小吉秀勝は甲斐(山梨県)一国23万石を与えられました。

しかし翌天正19年(1591年)になって、母ともが秀吉に対して小吉秀勝の国替えを要求します。

曰く「甲斐は都から遠すぎて可哀想だから、もっと近くにしてあげて(要約)」とのこと。かつて丹波亀山の所領に不満を漏らして改易されたことを覚えていないのでしょうか。

しかし秀吉は姉の猛抗議に屈したのか、小吉秀勝は美濃国岐阜(岐阜県岐阜市)13万石へ転封されています。

所領こそ半減されたものの、母としては息子が近くに戻ってきてくれて、嬉しかったのでしょうか。

2ページ目 朝鮮征伐で陣没

 

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