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【豊臣兄弟!】朝倉氏ついに滅亡…それでも“再興”を諦めなかった男・朝倉景嘉の決断と末路

【豊臣兄弟!】朝倉氏ついに滅亡…それでも“再興”を諦めなかった男・朝倉景嘉の決断と末路

天正元年(1573年)8月20日、越前の戦国大名として栄華を誇っていた朝倉義景(鶴見辰吾)が、一門衆であった朝倉景鏡(池内万作)の裏切りによって自害させられてしまいます。

景鏡ら朝倉一族の多くは織田信長(小栗旬)に降伏し、間もなく勃発した越前一向一揆に滅ぼされたり、降伏したりと悲惨な末路をたどりました。

『豊臣兄弟!』主君を売る裏切り者…悪役ぶり全開の朝倉景鏡(池内万作)に待つ哀れな最期

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、第13回放送「疑惑の花嫁」の劇中で強烈な印象を残したのが、浅井長政(中島歩)に圧力をかけ、嫡男・万福丸を人質にとり織田信長(小栗旬)を裏切るよう迫った朝倉景鏡(池内万作…

『豊臣兄弟!』大口を叩いた“嫌なヤツ”のその後…武将・朝倉景健(重岡漠)がたどった哀れな最期

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第15回放送「姉川大合戦」で初登場した朝倉景健(あさくら かげたけ)。演じる重岡漠がのっけから悪役ぶりを好演し、尊大な武将ぶりを強烈に印象づけました。※第15回放送「…

『豊臣兄弟!』朝倉義景(鶴見辰吾)を見限り信長へ降伏…それでも救われなかった朝倉一門・織田景綱の末路

天正元年(1573年)8月20日、朝倉景鏡(池内万作)の裏切りによって朝倉義景(鶴見辰吾)が自刃。ここに北陸の名門・朝倉氏は滅亡します。大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、今後1〜2話のうちに描かれることに…

ここに北陸の雄・朝倉氏は滅亡したのですが、最期まで朝倉再興を諦めずに苦闘した者もいたようです。

今回はそんな一人・朝倉景嘉(あさくら かげよし)を紹介したいと思います。果たして彼の志は、どのような結末を迎えたのでしょうか。

謎多き有力家臣

朝倉景嘉は生年不詳、朝倉義景はじめ朝倉一族においてどのような血筋であったかもはっきりしていません。

修理亮(しゅりのすけ)の官職を称しているため、同じ修理亮を称した朝倉景冬(かげふゆ)の末裔か、その名跡を継いだものと考えられています。

永禄11年(1568年)5月に足利義昭(尾上右近)が義景を訪問した際、出迎える朝倉一門の中で景嘉は五番目に列していました。

……朝倉一門ノ面々御馬太刀ニテ謁見ノ次第一番朝倉式部大輔二番朝倉孫三郎三番朝倉次郎左衛門四番朝倉孫六郎五番同修理亮(朝倉景嘉)同掃部助同出雲守次鳥羽右馬助同次郎右衛門同小三郎向駿河守三段崎権守溝江大炊助同三郎右衛門同左近衛門也……

※『朝倉始末記』巻第四「義昭公被為成于朝倉屋形次第附御能事(義昭公、朝倉屋形に成りなさる次第、附けたり御能のこと)」

この時、朝倉景鏡率いる大野郡司家との筆頭争いに敗れた朝倉景紀(かげのり)ら敦賀郡司家は不参のため、景嘉は朝倉家中で六番目の実力者であったことがわかります。

2ページ目 上杉謙信を頼って越後へ

 

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