大河『豊臣兄弟!』では描かれない?浅井長政への忠義を貫き通した戦国武将・赤尾清綱の壮絶な最期
人間はとかく3という数字が好きなのか、戦国時代にも三好三人衆とか美濃三人衆が活躍していました。
北近江を領していた浅井長政(中島歩)にも浅井三将と呼ばれる者がいたようで、その顔ぶれは以下の通りです。
- 赤尾清綱(あかお きよつな)
- 雨森清貞(あめのもり きよさだ)
- 海北綱親(かいほう つなちか)
今回は赤尾清綱を紹介。果たしてどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
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浅井家三代に仕える
赤尾清綱は永正11年(1514年)、近江の国人である赤尾教政(のりまさ)の子として誕生しました。
元服して通称を孫三郎(まごさぶろう)、やがて美作守(みまさかのかみ)の名乗りを許されます。
赤尾家はもともと近江の大名である京極氏に仕えていました。しかし時勢によって浅井亮政(すけまさ。長政の祖父)に仕えます。
時は流れて浅井久政(榎本孝明)の代になると、長政に家督を譲らせるべくクーデターを企てました。
久政が城から出た隙を見計らい、遠藤直経(伊礼彼方)らとともに小谷城を占領したのです。
渋々ながら長政への家督承継を認めさせ、長政の下で浅井家の舵取りに参画していきました。
ただし既に高齢となっていたため、清綱は最前線ではなく顧問的な存在となっていたようです。
越前の朝倉と南近江の六角に挟まれる中、清綱は朝倉との連携を推進し、六角との対抗姿勢を打ち出しました。
果たしてこの決断が最善だったのか……ともあれ清綱は、長政より厚く信頼されていたようです。
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