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次回『べらぼう』で平賀源内生存のウワサ作戦の舞台「曽我祭」とは?写楽×曽我祭=仇討ちなるか?

次回『べらぼう』で平賀源内生存のウワサ作戦の舞台「曽我祭」とは?写楽×曽我祭=仇討ちなるか?

大河ドラマ「べらぼう」もいよいよ大詰め。第46回放送「曽我祭の変」では、曽我祭に合わせて、蔦重(横浜流星)が東洲斎写楽の役者絵をここぞとばかり売り出します。

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果たして「(仮称)平賀源内生存の噂バラまき作戦」は上手くいくのでしょうか……ということで、本作における東洲斎写楽の正体は、歌麿(染谷将太)はじめ多くの絵師たち複数絵師説を採用するようです。

ところで、曽我祭とは何でしょうか。今回はこの曽我祭について紹介したいと思います。

曽我祭の歴史

曽我祭とは、芝居の守護神として祀っていた曽我荒人神(そがのあらひとがみ。曽我兄弟の怨霊)に対して、曽我兄弟の仇討ちを題材にした曽我物(※)の成功を感謝する神事です。

(※)曽我物・曽我狂言は元禄期(1688~1704年)に様式が確立され、享保期(1716~1736年)からは新春の吉例として上演されるようになりました。

新春に始めた曽我物の興行が5月まで継続できた際、曽我兄弟の討ち入り日である5月28日に神事がとり行われたのでした。

もとは楽屋の内々で行っていたのですが、宝暦3年(1753年)に中村座の初狂言が大成功を収めた折、舞台で披露したことから江戸三座(中村座・市村座・森田座)の慣例となります。

曽我祭では仕切場に神輿が鎮座し、幕間に御神楽を奏上しました。そして大切(おおぎり。最終演目)では座中が総出で華やかに踊り、打ち出し(全演目終了)後には市中へ繰り出して練り歩いたり余興を演じたり……さぞ賑やかだったことでしょう。

実際に華やかだったようで、贅を尽くし華美を極めたことから、しばしば幕府当局から規制・弾圧を受けたそうです。

それでも曽我祭の灯は守り継がれ、文政年間(1818~1830年)ごろまで続きました。

曽我物・曽我狂言そのものは明治時代初期まで存続。その後も様々な形で受け継がれています。

2ページ目 そもそも曽我兄弟の仇討ちとは?

 

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