江戸の治安を支えたレジェンド〜史実で読む『遠山の金さん』が遺した“庶民を守る裁き”【後編】
【前編】では、中山勘解由の活躍や大岡忠相の施策、「大岡裁き」の真相について説明しました。
拷問の名手・中山勘解由、庶民の英雄・大岡越前~江戸時代の治安を支えたレジェンドたち
「鬼勘」の功績江戸時代の治安は、名奉行や火付盗賊改の長官たちの活躍によって支えられていました。特に中山勘解由、大岡忠相、根岸鎮衛、遠山景元といったリーダーたちは、江戸の街を守り、庶民から敬…
【後編】では、根岸鎮衛の有名な「め組の喧嘩」のエピソード、そして時代劇でもお馴染みの遠山景元について見ていきましょう。
根岸鎮衛と「め組の喧嘩」
根岸肥前守鎮衛(1737~1815)は、長谷川平蔵が火盗改だった時期と同時代の人物です。大岡忠相や遠山景元とともに、町奉行として江戸の庶民に人気が高かったといわれています。
根岸は旗本ではなく150俵取りの御家人でしたが、勘定方として能力を発揮して旗本に取り立てられ、老中・松平定信の時代には勘定奉行に抜擢されました。
彼は勘定奉行を11年間務めると、寛政10年(1798)に60歳で南町奉行の職に就いて1年間勤めました。御家人から町奉行への昇進というのは異例なので、かなり優秀だったのでしょう。
ちなみに長谷川平蔵は寛政7年(1795)に亡くなっているため、根岸鎮衛が南町奉行として『鬼平犯科帳』には登場することはありません。むしろ藤枝梅安シリーズの時代設定における南町奉行にあたります。
根岸鎮衛は奉行として多くの判例を残しますが、特にその名を高めたのが「め組の喧嘩」でした。
これぞ江戸の花!?江戸時代の火消し集団「め組」と相撲力士による乱闘事件『め組の喧嘩』その結末は?
「火事と喧嘩は江戸の華」というフレーズもあるとおり、江戸っ子は喧嘩っ早かったことで知られています。大小様々な喧嘩があちこちで起こっていたのだと想像できますが、なかには講談や芝居の題材にもなるほ…
文化2年(1805)、芝神明宮で相撲取りと町火消「め組」の鳶による大乱闘が発生。これを根岸が裁くことになりました。町奉行は町火消を管轄する立場でもあり、それで相撲興行を行う寺社を管轄する寺社奉行とともに裁きに乗り出したのです。
この騒動はのちに歌舞伎「神明恵和合取組(め組の喧嘩)」として有名になりました。


