江戸の治安を支えたレジェンド〜史実で読む『遠山の金さん』が遺した“庶民を守る裁き”【後編】:2ページ目
庶民の味方「遠山の金さん」
次に遠山景元です。「大岡越前」とともに時代劇のヒーローとして知られる「遠山の金さん」こと遠山左衛門尉景元(1793~1855)は実在の人物です。
もともと、遠山景元と長谷川平蔵は共通点が多いです。
平蔵の将軍御目見えは23歳でしたが、景元が11代将軍・徳川家斉に御目見えが叶ったのは33歳という遅さでした。
また、ともに若い頃に放蕩生活を経験しており、庶民や犯罪者の心情について、深い理解を持っていました。さらに、遠山景元が暮らした屋敷は、かつて平蔵が暮らした本所の屋敷です。
とはいえ、彼の前半生について詳しいことはよく分かっておらず、放蕩無頼の暮らしをしていたともいわれています。
景元は、天保11年(1840)に北町奉行に就任。
当時の老中・水野忠邦は天保の改革を進め、南町奉行の鳥居耀蔵とともに江戸庶民に倹約と風俗取り締まりを強制しますが、庶民に寄り添った遠山景元はこれに反対して緩和を求めます。
天保12年(1841)には、鳥居の進言によって水野から芝居小屋・寄席の廃止の命が出されましたが、遠山景元は芝居小屋を移転・縮小させて継続させました。
このように、彼は幕府による奢侈禁止令に対抗したことを感謝され、なんと彼自身が講談や芝居に取り上げられるようになったのです。
