噴火から10年。木曽・御嶽山(長野・岐阜県境)に登ったら“ある物”が消滅していた!
死者・行方不明者計63人を出す戦後最悪の火山災害となった御嶽山(長野・岐阜県境)。
今年は噴火から10年。規制緩和も進み、一部を残し歩ける登山道が増えたので実際に登山し、どのようになっているか確かめてきました。
お天気と休みの兼ね合いがうまくいかず、筆者が行けたのは予定されていた規制が始まる三日前。夏山の様相は消え、既に紅葉が進んでいました。
※規制:田の原遥拝所~王滝頂上まで:令和6年7月10日(月)午前6時~令和6年10月16日(水)正午まで。
登山口は主に4カ所ありますが、長野県側の木曽福島駅からバスや車で「おんたけロープウェイ」まで行き、そこから八合目まで登り上げる「黒沢口登山口」か、同じく木曽福島駅から古道のある王滝村を通り五合目まで車で向かう「田ノ原登山口」からがアクセスが良く、圧倒的に人気です。
噴火が起きて被害者が多かったのは「田ノ原登山口」から向かう王滝頂上から剣ヶ峰付近。今回はこちらから、歴史ある巡礼道をたどるとともに、噴火の痕跡がどうなっているのかをこの目で見てみたいと思いました。
山岳信仰の聖地
まず御嶽山の歴史をざっと振り返ります。
民謡の『木曽節』でもしられる「木曽御嶽山」。富士山、白山、立山と並んで日本有数の霊峰として知られます。標高3067mで日本14位の独立峰です。
山頂には御嶽神社奥社があり、王滝村には御嶽神社里宮があります。
御祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)と国生み神話に縁のある神が祀られています。
開山は約1300年前、信濃の国司・高根道基が開き、1161年には後白河法皇の勅使が登山参拝をしたと言われています。平安時代から長らく修験の山として栄え、1784年に尾張の行者・覚明が、1794年に武蔵国の行者・普寛によって、一般信徒にも開かれることになります。