紫式部が藤原道長の娘の懐妊から出産までを克明に記録。重要史料『紫式部日記』ができるまで【光る君へ】
彰子の懐妊
大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部。彼女は女房たちの前で「一」という漢字も書けないような頭の悪いキャラクターを演じて、漢字の知識や文才などを持ち合わせていないフリをしていました。
紫式部が才能を隠すため“痴れ者“のフリをした処世術「惚け痴れ」とは?能ある紫式部は爪を隠す!
「日本紀のお局」というレッテル大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部ですが、『紫式部集』には、中宮・彰子に仕えた紫式部の宮中での暮らしぶり、その苦悩も記されています。ある日、『源氏物語…
そんな演技を続けながらも、紫式部は着々と『源氏物語』の創作を続けていました。
ところで、紫式部と言えばもっとも有名なのはもちろん『源氏物語』ですが、その創作過程や、式部の人となりを知るにあたり最も重要な資料とされているのが『紫式部日記』です。
この『紫式部日記』が成立したのは、中宮・彰子の懐妊がきっかけでした。
シングルマザーの身で宮仕えにも少しずつ慣れてきた寛弘4(1007)年12月には、中宮・彰子の懐妊が明らかになります。
12歳での入内から8年が経っていました。これは彰子にとっても吉報でしたし、その父である藤原道長にとってはなおさらです。
翌寛弘5 (1008)年4月、懐妊5カ月となった彰子は、一条天皇の内裏から道長の邸宅である土御門殿へ里帰りし、女房の式部も付き従いました。
この時から、彰子一行が内裏へ戻る11月までの間、紫式部はこの土御門殿で『源氏物語』を書き進めていったと考えられています。
そしてもう一つ、紫式部が始めたことがあります。それは、中宮・彰子の懐妊から出産、皇子誕生にまつわる慶事などを詳細に記録することでした。