妖怪まんがの巨匠・水木しげるの絵には元ネタが!『ゲゲゲの鬼太郎』登場キャラたちの由来を紹介
偉大すぎる水木しげる
妖怪の絵を描く画家・あるいは絵師と言えば、多くの人はまず水木しげるのことを思い浮かべるでしょう。
水木しげるは言わずと知れた妖怪画の超・大御所です。
というよりむしろ、それまではっきりした姿かたちを与えられていなかったオバケたちをインパクト抜群に描き出し、それを「妖怪」というカテゴリで括る形で定着させてしまったのですから、はっきり「妖怪の生みの親」と言っても過言ではありません。
つまり、水木しげるがいなければ、私たちが「妖怪」と言われて思い浮かべるイメージすらも今頃は存在せず、日本的なオバケの在り方というのは全く異なった形になっていたかも知れないのです。
その意味では、水木しげるはひとつの日本文化あるいはひとつのパラダイムを一人で創り上げてしまった人だと言えるでしょう。
水木「妖怪画」の功罪
ただ、彼のそんな功績にも「陰」の部分があります。
それは、日本中に存在していたオバケをはじめとする異形のものたちのイメージを、全て「妖怪」という括りでまとめてしまったことで、もともと彼らが持っていた違いや特徴が見えにくくなってしまった点です。
例えば水木が描いた豆腐小僧という妖怪がいますが、これはいわゆる人を取って食うオバケではなく、どちらかというと江戸時代後期のメディアの中で生まれた「マスコットキャラクター」です。今でいうポケモンや妖怪ウォッチのようなものでした。
一方で、水木は民俗学者の柳田國男が集めた全国の民間伝承を参考に、山奥の山村で名前だけが言い伝えられていたようなオバケにも姿かたちを与えて描き出しています。
こういったタイプの妖怪の方が、現代の私たちが想像する「妖怪」のイメージに近いと思いますが、水木はこれと、豆腐小僧のような「マスコットキャラクター」も一緒くたにして「妖怪」として描いてしまったわけです。
よって、何も知らずに水木しげるの妖怪画を見ると、豆腐小僧という妖怪が、狐や河童や山姥と同じようにはるか昔の山村には出没していたかのような印象を受けてしまうことになります。
そうなると、豆腐小僧という妖怪について誤ったイメージを持ってしまい、その本来の歴史が見えにくくなってしまうでしょう。
妖怪の生みの親としての水木しげるの業績には、こうした功罪があるということです。