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いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【後編】

いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【後編】

美しさ・正しさ・理想

【前編】では、小野小町が生きていた平安時代の「美人」の基準と、近代以降の「美人」の基準の違いについて解説しました。

いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【前編】

小野小町はなぜ「世界三大美人」の一人なのか日本史で「美人」の代名詞と言えば小野小町で、彼女は「世界三大美女」の一人と言われています。しかしこの世界三大美女というカテゴリーは、いつ誰が考えたものなの…

少し哲学的な話になりますが、美しさの基準について考える際に見落としてはいけないこととして、「美しさ」の概念「正しさ」の概念と接続しやすいということが言えます。

例えば、どんなに美しい顔立ちの人でも、それが極悪人だと分かれば、私たちの心の中にはその美しさを「認めたくない」という感情が生まれます。

さらにその感情が強まれば、その人の美しさが、反対にある種の「醜さ」として目に映ってしまうこともあるでしょう。

また、漫画やアニメなどの主人公は、たとえ物語の中で「地味」「目立たない」「冴えない」などと表現されていても、どことなく美しい・かわいい・カッコいい見た目で描かれるものです。

物語の主人公というのは、見る側にとっては感情移入する対象です。つまり、その物語の中では、さしあたり感情移入しやすく、言動が真っ当で、受け入れやすく理解しやすいキャラクターでなければいけません。事実として、そうした存在は美しい・かわいい・カッコいい見た目で描かれるものなのです。

もちろん、そんなに真っ当でまともな人間は存在しません。どんなにまともそうでも、善悪の二面性を持っている上に支離滅裂なところがあるのが人間です。

よって、そうしたキャラクターは少なからず「理想的」であると言えます。

つまり、ある人を「美しい」と認めるとき、同時にその人は「理想的」なキャラクターであるという気持ちも少なからず混ざってくるということです。

2ページ目 明治時代以降の「女性論」と小野小町

 

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