世知辛い世の中に上質な笑いを。江戸時代の狂歌に見るウィットと社会
仕事が大変、生活が苦しい、家庭内で問題を抱えている……。いつの時代も人々の悩みは尽きない世の中。
今ではSNSなどで気軽に自分の気持ちを表現できるようになりましたが、今回は、江戸時代の狂歌に注目したいと思います。社会の様子を写しながら、皮肉とウィットに富んでいる狂歌は、私たちにちょっとした笑いを与えてくれます。
狂歌ができた背景とは?
狂歌というと江戸時代、というイメージがあるかもしれませんが、狂歌という単語は平安時代にも用例が見られます。社会風刺や皮肉、滑稽が盛り込まれた五・七・五・七・七からなる諧謔スタイルの短歌です。
落書(らくしょ:政治風刺や批判、揶揄を目的として人々の目に触れる場所に匿名で掲示・配布された文書)も狂歌と同じ系譜と言えます。
江戸時代中期に独自の文化として発達し、特に狂歌が社会現象とまでなったのは天明狂歌の時代でした。歯切れがよく「粋」であることが特徴です。
明和4年(1767年)に太田南畝の狂詩集『寝惚先生文集』には平賀源内が序文を寄せました。また、明和6年(1769年)には、初めての狂歌会が唐衣橘洲(からころもきっしゅう)の屋敷で行われました。
明治時代ごろまで狂歌は続きますが、近代以降人気は衰えていきました。
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