間違ってた座禅の心構え:警策に打たれすぎてもNG?「座禅=叩かれればいい」ではない:3ページ目
「座禅=叩かれればいい」ではない
帰り際、直日の僧侶に「警策を頂きありがとうございました」と挨拶すると、なんと驚きの返答が。
実は「禅道が伝わった鎌倉時代は警策は存在せず、江戸時代に始まった」ということで、「むやみやたらに打ってもらって気持ちいい、という考えは邪道といえます」と教えられました。
がーん!
勝手に打たれるものでも、積極的に打たれにいくものでもないのか!!
座禅の正しいありようって一体なんなのだ!?
警策の始まりって
あまりに目から鱗だったので更に窺ってみました。警策は、警覚策励(けいかくさくれい)の略で、臨済宗では「けいさく」と呼ぶそうです。しかしこの棒、いつからどの寺で使い始めたのかは明言できないとのこと。
なんだって・・・!! お寺でもわからないのか!
しかし曹洞宗開祖の道元禅師、臨済宗開祖とされている栄西禅師の時代に用いられたという記録は残っておらず、前述した通り江戸時代になってから登場したことは間違いなさそう。
坐禅堂のご本尊は文殊菩薩のため、警策は文殊菩薩の手の代わりとされており、そのため打つ方も打たれる方も合掌し一礼をするのだそうです。
曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」といって、ただひたすらに座禅に打ち込むスタイルが主。
座ることが仏に近づく手段ではなく、座ることが仏の姿そのものになるという考えで、体と心が一つになることで悟りにいたるのですが、そこには己のみが己と対峙するのであって、本来は他者によって与えられる刺激で心を戻すことはあってはならない(必要ない)といえるとのこと。
すみません、うまく書けませんが伝えられたでしょうか・・・(汗。
しかし最後に、本当に集中力を欠いたときはお願いしてもいいですよと仰ってくださいました。今回はきっと、「打たれれば良い」という私の邪な心が見透かされたのだと思います・・・(汗。
実際、打たれると体がほぐれて気持ちいいんですよね…。
しかし警策の始まりという大きな謎が残ってしまいました。筆者はこの謎ときをライフワークにしようと思います(本当か)。
禅宗は細かく分類すると24の宗派があるようですし、宗派により座禅の作法や考え方も異なると思うので、こちらで体験したことがすべてとはいえません。
とにもかくにも何事も、決して知ったかぶりはしてはいけませんね(笑)。