間違ってた座禅の心構え:警策に打たれすぎてもNG?「座禅=叩かれればいい」ではない:2ページ目
まずは座禅のふるまいを一通り
参加した某お寺の宗派は曹洞宗。そこでは座禅会ではなく「参禅会」と呼んでおり、ある程度知識や経験のある人向けの雰囲気。作務衣やヨガの服装で来られる方も多く、着替えをする部屋の用意もありませんでした。
・入場
手を叉手(さしゅ)にして入り口の左側の柱側から、左脚で入ります。叉手とは胸の前で両手を交差する方法の一つで、左手は親指を内に入れて手の甲を外に向け、その上から右手を覆い重ねます。坐禅堂に入ったら正面の本尊に向かい合掌低頭。手を叉手に戻し、自分の坐る場所(坐位と呼ぶ)に歩を進めます。
・座る
隣位問訊(りんいもんじん)といって、両隣の方への挨拶として座る前に合掌しお辞儀をします。さらに、対坐問訊(たいざもんじん)といって、反対側を向き、向かいの人への挨拶として合掌、お辞儀。
そしていよいよ、壁に向かって座ります。これを面壁〈めんぺき〉と呼びます。
後ろから印の組み方、座禅の組み方を僧侶が教える声が聞こえます。印は右手を下に左手を重ねて仰向け、親指同士をつきあわせます(ちなみにこの逆は天台宗とのこと)。
結跏趺坐が難しい方は半跏趺坐、または胡座(あぐら)でもよいのですが、体の中心がまっすぐになるように、自分の鼻とおへそが垂直かを意識。左右に体を揺らしながら徐々に体勢を整えます。
さて、しんと静まる瞑想の時間。
私はそれまで数回、座禅会と写経を体験したことがあり、結跏趺坐どころか半跏趺坐もできない未熟者のくせに、経験値が少し高まったという驕りがありました。
しばらくして疲れてくると、「警策を頂こうかな」という気分に。
「座禅していて、集中力が途切れたり意識が散漫になったときに、前屈みになって警策を頂くのだよな」などと通ぶって、僧侶(直日、直堂と呼ぶ)が背後に歩いてきたときに、すっと前屈みになり首を左にかしげ、右肩を差し出しました。
ぱしん!
右肩を叩かれるといっぱしの修行者になったような気持ちに成りました。
しかし、それ以降、警策の音は鳴りません。
「あれー、今回は私だけなのかぁ」などと思いながら終了。