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上皇后陛下が育てられていた蚕は奈良時代から宮中で育てられた日本古来種!その名も「小石丸」

上皇后陛下が育てられていた蚕は奈良時代から宮中で育てられた日本古来種!その名も「小石丸」:3ページ目

宮中養蚕の歴史

皇室での養蚕の記録は「日本書紀」。

雄略天皇(5世紀後半)が后妃に養蚕を勧めたのが始まりだとされています。

その後の詳細は不明ですが、近代の記録では一時途絶えていた養蚕を復活させたのは明治4年、昭憲皇太后の時代でした。そのとき助言役として抜擢されたのは近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一です。

彼が携わった富岡製糸場が世界遺産に登録されたことが記憶に新しいと思いますが、文明開化後、富国強兵で日本の輸出業を支えた産業の一つが生糸でした。

そういった時代の流れもあり、産業振興の意味も込めて「皇后御親蚕(こうごうごようさん)」が復活した経緯があるようです。

その後戦争が始まり中断、明治12年に再開。再び中断され、明治41年に再開。大正4年に皇居内の紅葉山御養蚕所が新設されて現在に至ります。小石丸以外の品種の蚕も育てられています。

紅葉山御養蚕所(ウィキペディアより)

フランスを救った蚕

日本の蚕はフランスの養蚕業を救ったこともあります。19世紀中頃、フランスでカイコガの幼虫がかかる病気「微粒子病」が蔓延し、養蚕業が大打撃を受けていました。そのときナポレオン三世から日本に蚕を譲って欲しいと依頼を受け、日本はそれに応えてその危機を救ったのです。

明治5年(1872)に完成した富岡製糸場はフランス人技師の指導のもとで建設され、繰糸機はフランスから輸入されました。女工たちは各地の製糸工場の指導者になりその技術を伝え、フランスに渡った留学生は染織技術を学び、明治期の染織業の発展に大きく寄与しました。このようにフランスと日本は糸によって結びつきがあるのです。

4ページ目 養蚕の手順

 

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