奢れる平家に見事リベンジ!以仁王の挙兵で主君の雪辱を果たした渡辺競のエピソード:2ページ目
奢れる平家と愛馬の悲しみ
挙兵よりしばらく前、頼政の嫡男である源仲綱(みなもとの なかつな)は「木の下(このした)」という名馬を飼っていました。
それが大層な評判となり、やがて権勢の絶頂にあった平清盛の三男である平宗盛(たいらの むねもり)が「木の下」を所望するようになります。
武士にとって、馬はいざ戦場で命を預ける大切な伴侶ですから、そう易々と譲るわけにはいきません。
しかし、宗盛は引き下がることなく父親の権力を嵩(かさ)に脅しすかし、しつこく要求。それを知った頼政は、要らぬ波風を立てまいとして、仲綱を諭します。
「そこまでのご所望なれば、そなたはまた他に良き馬を探し、木の下は宗盛殿にお譲りせよ」
「……は、父上の仰せなれば……」
不承々々に「木の下」を譲った仲綱ですが、受け取った宗盛は感謝するどころか木の下を「仲綱」と改名して焼き印を捺し、連日鞭で打ち据えていじめ抜いたそうです。
この仕打ちに仲綱は怒り心頭。拳を震わせ、男泣きに泣いて頼政へ訴えます。
「……それがしに対する侮辱だけなら、御家のためと堪忍も致しましょう。しかし、戯れに打たれ続ける木の下の痛みを思うと……っ!」
仲綱がどれだけ時間をかけて木の下へ愛情を注ぎ、丁寧に信頼関係を構築してきたか。武士にとってかけがえのない人馬一体の絆を無情にも引き裂いたばかりか、無益な侮辱と暴力によって踏み躙(にじ)る非道の振舞い。
「相解った。仲綱……これまで、よう耐えた……」
短くそう伝えると、頼政の叛意は決しました。
「なるほど……平家の連中は、我ら源氏が『どれほど侮辱されても仕返しできまい』と思うておるようじゃ……確かに、戦わば十中八九負けるじゃろう。しかし……勝負は時の運。そして……『戦うか、逃げるか』を突きつけられれば、戦うてこそ武士の本懐」
「……しからば、父上」
「うむ。我も齢(よわい)七十七、もはや惜しむ命でもあるまい。『一寸の虫とて五分の魂』……たとえ我らことごとく滅ぶとも、驕り高ぶる平家の者どもに思い知らせてくれる……!」
「おう父上!やらいでか!」
……そんな頼政・仲綱父子のやりとりを、陰で聴いていた者がおりました。