350年もの間、天皇に「朝ご飯」を届け続けた京都の餅屋・川端道喜:2ページ目
御朝物はどのように届けられたのか?
御所に届けられた御朝物は、直径15センチほどのまん丸のおはぎのような形で、蒸した餅米を搗きまぜてそれを薄く餡で包んだものです。餡には砂糖ではなく塩が入っていて、どちらかというとさっぱりとした味わいだったようです。
御朝物はどのように届けられたのかというと、まず朱塗りの器に御朝物を入れます。御朝物を入れた器を、もう一まわり大きな朱塗りの器に入れます。そしてそれを唐櫃に入れて両端に晒布を輪にしてかけ、青竹を通して御所の庭まで運びます。それを女官に渡し、六個中の二個が天皇の前に出されるのです。
どれだけお腹が空いていても「おあさがきたぞ、それー!」とがっつく訳にいかないのが、位の高い方の辛いところですね。
今でもその川端家の痕跡が京都御所にて確認することができます。
道喜が通行する専用の門「道喜門」がそれです。勝手口のような小さな門ですが、いかに道喜に恩を感じていたのか窺い知ることができますね。
道喜はそれだけではなく、御所の修繕も行いました。大工や畳屋などに声をかけ庶民の手で御所を守ったのです。
初代道喜こと五郎左衛門は、隠居したあとは武野紹鴎という茶人の門下で茶道を学び、千利休などと親交を深め、茶会などの菓子を融通するようにもなったとか。今でも裏千家の茶会のお菓子の一つは道喜が用意するとのこと。