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混沌の極み!みかんラブな日本で起きた明治時代のミカン抗争!江戸時代にはミカン税も

混沌の極み!みかんラブな日本で起きた明治時代のミカン抗争!江戸時代にはミカン税も

紀伊國屋は冨を手にしたのみならず、ミカンを心待ちにしていた江戸っ子たちの心もわしづかみ。この時の様子がカッポレ節にも登場、「沖の暗いのに 白帆が~見ゆる、あれは紀伊の国 ミカン船じゃ」と、唄になっています。

紀州藩・初代藩主浅野幸長らはミカン栽培を積極的に奨励。「密柑税」という税を課し、藩財政の貴重な財源としました。

農民たちは「密柑方」という共同出荷組織を寛永年間から享保年間(1624~1736年)にかけて作り上げ、ミカンの荷受けから輸送手配、問屋への販売を一手に掌握。藩は役員に半官半民の特権を与えて、密柑税を徴収させました。なんと武士と同じように通行手形と帯刀を許し、江戸など商業地での活動を支援したそうです。

幕末に描かれた浮世絵では、紀州の殿様がミカンとして描かれているものも。藩の殿様が特産品として描かれた風刺画ですね。

3ページ目 明治維新でミカン下克上

 

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