縁切り寺という強硬手段!妻からの離婚はかなり難しかった江戸時代の離婚事情:2ページ目
夫に不行跡があっても世間的には離婚が認められない
当時、妻から離婚を申し出ることができたのは、「夫が重罪を犯す」「夫が10か月以上失踪する」「実家に帰って数年間、夫からの連絡がない」という場合のみでした。それ以外の理由では、たとえ夫に不行跡があったとしても世間的には離婚が認められなかったのです。
ところが、妻としてはこれでは困ります。三行半がなければ、再婚することもできません。そこで妻は無理やり夫に三行半を書かせ、それをもぎ取っていきました。なかには最初から離婚を想定し、「先渡し離縁状」を夫に書かせたうえで結婚する、という強かな女性もいたようです。
どうしても離婚できないときは「縁切寺」へ
どうしても夫が三行半を書いてくれない場合、妻は代官所や武家屋敷に駆け込んで離婚を訴え出るということもありました。それでも離婚できないときは、縁切寺へ駆け込むという強硬手段が認められていました。
縁切り寺にGO!江戸時代、女性から離婚したい時に離縁させてくれるお寺があった
江戸時代の庶民は恋愛結婚ができても、離婚は難しそうなイメージがありませんか?ましてや女性から離婚したいと言い出すなんて、ハードルがかなり高そうです。離婚したくなったらここにGO!ところが意外な…
江戸時代において、幕府が公認していた縁切寺は、鎌倉の東慶寺と上州新田(群馬県)の満徳寺という二つの寺でした。
3ページ目 夫は入れずむやみに連れ戻すこともできない縁切り寺