縁切り寺という強硬手段!妻からの離婚はかなり難しかった江戸時代の離婚事情:3ページ目
夫は入れずむやみに連れ戻すこともできない縁切り寺
妻が縁切寺へ向かえば、それを阻止すべく夫が追いかけてきます。もし妻が寺へ入る直前で捕まってしまっても、その前に妻の持ち物、例えば草履やかんざしなどを寺の敷地内に投げ入れれば、寺に入ったとみなされました。妻が寺に入ったとみなされれば、夫といえども寺の敷地内に入ることはできず、むやみに連れ戻すこともできませんでした。
ただし、妻が無事に駆け込んでも、それで離婚が成立するわけではありません。まず、寺側が双方の主張を聞いたうえで、調停を行いました。晴れて離婚が成立した場合、夫が三行半を書いて妻に渡しました。
もしも調停で離婚が成立しなかった場合、妻はそのまま尼として寺で生活します。東慶寺では三年間、満徳寺では二年経過すれば離婚が成立したのです。
江戸時代は、離婚が割と頻繁に行われていたため、夫婦の財産は別々になっていたようです。