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龍馬暗殺の嫌疑で流罪、謎の死を遂げた最後の新撰組隊長「相馬主計」とは?

龍馬暗殺の嫌疑で流罪、謎の死を遂げた最後の新撰組隊長「相馬主計」とは?

近藤は「ここでお別れ」とばかりに二人に短刀などを授けましたが、「(総督府のある板橋まで)お伴したい」という彼らの願いを有馬藤太が聞き入れます。

近藤勇は「大久保大和」と変名していましたが、身元がばれて捕縛後に処刑。相馬も捕縛されますが近藤の嘆願により処刑を免れ、国元の笠間藩で謹慎の身となりますが脱走。上野彰義隊を経て仙台に転戦していた土方歳三と合流します。

土方歳三は蝦夷共和国で「陸軍奉行並」に就任、激戦ののち明治2年5月11日に戦死し、新撰組残党も投降したのです。

函館戦争に参加した医師・高松凌雲の書簡によると、相馬が隊長に就任したのは明治2年(1869年)5月15日。戊辰戦争終結は5月18日なので、相馬が新撰組隊長だったのは、たった三日間だったことになります。

3ページ目 新島に流罪、東京にて謎の切腹

 

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