単身赴任の楽しみはやはりお酒?江戸時代の参勤交代での暮らしはどんなものだったの?
寛永12年(1635)の武家諸法度で、制度化された参勤交代。大半の大名が1年交代で、江戸と国許(くにもと)を往復していました。中には、半年交代や不定期の交代もあったそう。
キツすぎてお殿様が死亡!?超ブラックな江戸時代の参勤交代のリアル
江戸時代に各藩の大名がお国許からお江戸まで1年ごとに交代で出仕していた参勤交代制度。歴史の授業でも当たり前に出てくるこの参勤交代ですが、実は心身ともに削られるめちゃくちゃブラックな制度でした。今回はあ…
参勤交代にかかる費用は相当なものでした
大名の所在が国許であれ江戸であれ、正室や嫡子は江戸に住むことが決められていました。大名行列の人数は、150~300人が一般的でしたが、100万石の加賀藩前田家では4000人のだったというから、かなり目立ったでしょう。
これだけの大行列になったのは、家格を誇ろうとしたためと言われています。華美になるのを防ぐため、武家諸法度では行列の人数の削減を命じられたほど。
ちなみに中国・四国・九州の西国大名は、大坂までは船の利用が許可されていました。その後は、陸路で江戸に向かったようです。
費用も、かなりのものだったとか。道中の費用は藩財政の5分~1割なので、それだけだと大したことはないのですが、江戸での滞在費も含めると4割近くになるから、藩財政に負担だったと言われています。
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