生きるか死ぬかの瀬戸際…平将門が迷走した悲話が残る東京都の最高峰「雲取山」とは?:3ページ目
「青梅」の地名になった将門の句
突然の悲劇に将門の心も打ち砕かれたことでしょう。彼はその後、青梅の金剛寺に立ち寄り、茨城県の岩井で打ち倒されたとあります。
金剛寺で将門は「我願い成就あらば栄ふべし。しからずば枯れよかし」という句を残していますが、実はこの句が「青梅」の地名の由来になっているんですね。
どういうことかというと、梅の枝を地面に突き刺し「わが願いがかなわないならば枯れよ」と言ったわけです。するとこの梅の木の実は、おかしなことにいつまでも熟さずに青々としたままだったそうです。
そこから「青い梅=青梅」の地名がつきました。
結局将門は死んでしまったのですが、本拠とする茨城県までは帰り着きました。雲取山から茨城県まで適当に見繕って194kmもあります。
同じ関東での争いといえど、これだけ方々に逃げ惑ってまた本拠地へ戻るのは大変だったでしょう。そこまでの願いはかなったとみるべきなのでしょうか。
何にせよ将門は西からの圧政から解放してくれる存在として、関東の庶民には愛されたようで、青梅の近くにも将門という神社や交差点名、バス停などが残っています。また、東京屈指の人気スポット、神田明神にも厄災除けの神として崇められています。
奥多摩に残された将門伝説、あなたもその足で確かめてみてはいかかがでしょうか。