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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第20話

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「だっておめえ、急に親と離れてよ、寂しいろうに泣きもしねえで一人で耐えて、偉えよ」

「別に、泣くような年齢でもねえし」

アッハハと国直は綺麗に並んだ白い歯をこぼして笑い、ばしりと芳三郎の背中を叩いた。

「痛え」

芳三郎は呻いた。

「アア、すまねえ」、

国直は慌てて芳三郎の背中をさすり、

「火消しの手伝いばかりをしてるうちに、随分力が強くなっちまったのさ」

右の袂をたくし上げて、腕の力こぶを作って見せた。

「わあ、すげえ」

肩から二の腕にかけて盛り上がった筋肉の逞しさに、芳三郎は思わず驚嘆した。幼い時分から豪の者や傑物好きな芳三郎は、一瞬で国直に憧憬を抱いた。

「どうだ。この力こぶがなんのために付いてるか、分かるかえ?」

「火消しの手伝いのため?」

「ブー。確かに火事の時の役には立つが、そうじゃねえのさア」

国直は、自慢げにニカニカ笑った。

「ナア、おめえはさあ、ここに来て何か危ねえ目に遭ったりしてねえか」

芳三郎は国貞の真似をして、指で目尻を狐のように上に釣り上げた。

「あの狐の化物に目で殺られかけた」

アッハッハと国直は豪儀に笑った。

「そんなら大丈夫だ。国貞の兄さんは流派を守り、盛り立てるのに必死なだけだ。他に何か嫌な事アねえか?」

「豊国の父っつぁんが国貞の狐にベッタリで嫌だ。おいらの事なんかまともに見ちゃいねえ」

「でもよお、おめえ、父っつぁんに声掛けられて入門したんだろ」

芳三郎が実家の紺屋で豊国に声を掛けられて入門した事は工房内では有名だ。

「まあ、そうだけど」

「それアすげえ事だよ。いいかえ、芳坊。ここにゃア四十数人も弟子がいる。父っつぁんが手前を見てくれねえなんてのア、ここの皆思ってる事なのよ。父っつぁんは実力がある人間が大好きだからねえ。あの親父の目に止まっただけでも、おめえはすげえのよ」

あまりに熱を込めて褒めるので、芳三郎は少し擽ったく思った。

「でも、この中に入っちまえば一番の下っ端になるてえのア分かるだろう?何もかも一からなんだよ」

国直は突然キラリと眼の奥を光らせて、芳三郎の表情を覗き込んだ。

「なあおめえさん、国貞の兄さんを超えてえと本気で思うか?」

国直は、指で狐の形を作ってにこにこした。

「父っつぁんを国貞兄さんからひっぺがして、てめえの絵を見てほしいと本気でそう思うか?」

「・・・・・・うん!」

芳三郎は熱に浮かされたように、深く頷いた。それを見た国直は満足そうな表情をし、

「おめえみてえな気概のある奴を待っていたんだ」

そして言った。

「おめえ、今日からうちに来い」

「え?」

「帰るところ、ねえんだろ?」

実は国直の言う通りであった。

親に勘当されてこの豊国の浮世絵工房に入門した芳三郎には帰る家がなく、このひと月の間は工房の裏にある於満稲荷の小さな社に身を寄せ、菰を被って野宿していた。

「そんなら、うちに来いよ」・・・・・・

それは芳三郎にとって、これ以上ない福音であった。

 

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