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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第13話:2ページ目
気まずさなどという生易しいものではなかった。
みつを構成するすべての輪郭が、男の差し向ける犀利(さいり)な視線によって丹念に正確に捉えられ、なぞられている。
押さえつけられているわけでもない。
しかし蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように、みつは身動きひとつ出来ず声ひとつ立てる事が出来ない。
逃げ出したい。
それなのに、ぴくりとも身体が動かない。
(あたしの身体は、国芳はんに完全に捕らえられてしまった・・・・・・)
物語の中の妖術のように、みつの身体もみつの心も、もしかするとこの部屋の空間すらも、この瞬間、歌川国芳という絵師の手中であった。
(いいえ、きっとそうじゃなくて)、
思い返せば春、この部屋で二人は交わった。
その春に別れを告げ、夏が過ぎ、秋が巡り、それでもなおこの国芳という男の事を忘れられずにいる。
(あたしの心も身体もあの春からずっと、この人に捕らえられたままだったのね)・・・・・・
なおも、静謐な時間が流れる。
国芳が視線を紙に落とし夢中で描いている間、みつはちらりと男を見た。
色の見えないみつの目には、闇が闇であるほどに男の表情の細部まで良く見えた。
もともと不思議な愛嬌のある男だが、絵を描いている時の国芳は、別段に魅力があった。伏した目には仕事に向き合う男の厳しさを湛えつつ、くちもとは常に楽しげに微笑しているように見えた。
(ずるい人)
描かれているみつの肌膚がほのかに上気している事も知らず、少年のように夢中になれる国芳が、羨ましくもあり憎らしくもあった。
そういう二人の隙間を、窓の外の松虫の音と、風がどこからか運んで来る清掻だけが埋める。
しばらくして、国芳が矢立を置いた。
「描けやした」
「もう?」
何しろ四半時もかからない、ほんのわずかな間である。
「あい、まだ画稿ですから」
国芳は早くも引き揚げる用意を済ませて立ちあがった。
「なら、わっちゃア帰りやす」
「待って」
思わずみつは手を伸ばした。
男は立ち止まり、一瞬振り返った。
この日はじめて、まともに二人の視線が絡んだ。
みつは消え入りそうにかぼそく言った。
「ずっと、ここで会いたかった」・・・・・・
言葉を受けた国芳は、驚いたようにその場に固まった。
その瞳は、漆黒の空に浮かぶ天の河のようだった。
男は、しばらくしてかすかに切なく微笑した。
「・・・・・・やっと、会えた」
震える唇でそれだけ絞り出し、国芳はくるりと背を向け部屋から去って行った。
それで、みつにもようやく分かった。
国芳も、冷静などではなかったのだと。
必死に、無我夢中で絵に没入する事で、ようやく自分を保っていたのだと。
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