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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第11話

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「紫野でありんす」

角行燈の仄明るい中で顔を上げると、座敷にはいつも通り結城揃えの上等な形をした佐吉が、朱塗りの猫足膳に銚子と硯蓋を据えてにこにこしていた。その横で同じ膳を据えた初見の中年の男が「近江屋紋彦です」と名乗った。

皺深い目尻を下げて優しげな雰囲気の旦那である。髷の貧相さを見る限り軽く五十は超えているだろう。

いつもは下ろされている青簾も、今日はすっかり巻き上げられて満月がすこんと手に取るようによく見える。

画像 文・十返舎一九/絵・喜多川歌麿「青楼絵抄年中行事 良夜の図」国立国会図書館

座敷の床の間の花瓶には女郎花(おみなえし)やすすきが活けられ、外から入る風もすっかり秋らしい。

どこからか聞こえる松虫の音色に、芸者衆がトッチリトンと絲竹(いとたけ)の音色を重ね合わせて、良夜の酒宴が始まった。

「佐吉はんから聞いておりんすえ。近江屋はんは面白い方と」

美のるが微笑みかけると近江屋は紫蘇(しそ)の実を摘みながらいやいやと首を振り、

「さてもまあ花魁のこの皓々たる美しさ。まさしく『月』にぴったりだなア」

「それは、今日のこの月の事?」

みつは青簾の向こうのまるい月を見上げて言った。

「それもあるがよ、もうひとつ・・・・・・」

「もうひとつ?」

近江屋の含み笑いを見て、みつは怪訝な顔をした。

「佐吉はん、あちきに何か隠しておりんしょう」

「え!?そんな、やだなあ!人聞きの悪りい」

佐吉の声は妙に上ずり、その様子は前回の夜とは別人のように嬉々としている。

みつが首をひねっていると、部屋の外の階段をタンタンと人が上がって来る音がし、

「お客様ご到着でごぜエやす」

直吉の低い声が中の様子を伺った。みつは遅れて到着した客を迎えるためにそちらに正面を向けた。

「お入りなんし」

すっと障子が開いた。

正面に立った人物の顔を確かめたみつは、思わず失神しそうになった。

くちびるを引き結び、思い詰めたような緊張したような面持ちで入ってきたその男は、紛れもなく国芳だった。

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