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紙芝居屋の意外な歴史【1】ルーツは江戸時代の幻灯と、明治・大正時代の紙人形芝居

紙芝居屋の意外な歴史【1】ルーツは江戸時代の幻灯と、明治・大正時代の紙人形芝居:4ページ目

「紙芝居」誕生!しかし不評でいきなりピンチ!

不思議なのは、どうやって写し絵から紙芝居へと変化したかということですね。発端は、明治中期に映画の登場によって写し絵が衰退したことでした。やがて興行から撤退する写し絵師も出てきます。困ったのは職を失うことになった裏方たち。その中の一人、写し絵の原画を描いていた「新さん」という人物が一計を案じ、ニュータイプ写し絵を開発します。

もともと写し絵は、手間と人手がかかるという難点がありましたが、それを一人で演じられるよう改良したのです。簡略化することで写し絵を残そうとしたと考えられます。そしてたどり着いたのが、「ガラスに描いた絵を映写する」のではなく「紙に描いた絵を、手に持って操作する」という技法でした。

ところが、このニュー写し絵は、寄席での評判は芳しくなかったようです。衰退したとはいえ写し絵は江戸っ子に愛された芸能。観客はスクリーンに映る幻想的な世界を期待しています。ところが見せられたのは紙人形の芝居。「思ってたのと違う!」と憤る客の気持ちもわかります。

しかしテキヤ(香具師)の「丸山善太郎」は、これに商機を見出しました。丸山は新さんと組んで、祭りや縁日で演じる新しい興行を生み出します。テント小屋の立絵紙芝居です。

こうした流れがあるため、紙芝居は当初「写し絵」を名乗っていました。しかし観客はもっぱら「紙芝居」と呼んだため、いつしかそれが正式名称になりました。意外な形で紙芝居という呼び名は誕生したのです。

参考文献

 

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