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かつて江戸の町屋は粗末な草葺きだらけだった?町が繁盛するまでの道のり
江戸の町のシステムは?
江戸時代のはじめ、江戸の人口は15万人ほどと伝えられていますが、18世紀の初頭には100万人を超える世界有数の大都市に発展しました。一説には世界一の都市ともいわれた江戸の町人は、職人と商人が中心でした。町奉行によって支配されていた町人地は、どんな風にして繁栄していったのでしょうか。
幕府より無料で支給されていた町人地に住むかわりに、幕府からのいろんな仕事を請け負う義務があったのです。同じ職業の人たちを一ヶ所にまとめて住まわせた職人町には、藍染屋が集まる町(神田紺屋町・南紺屋町・西紺屋町・北紺屋町)、大工が集まる町(元大工町・南大工町・神田横大工町・竪大工町)、畳屋(畳町)など、様々な町がありました。
江戸市中を実際に管理していたのは町奉行ではなく、町人代表の江戸町年寄(えどまちどしより)でした。家康の江戸入りのときは、奈良屋市右衛門・樽屋藤左衛門、その2年後には喜多村弥兵衛が町年寄に任命されています。3人とも徳川家の旧領地から来ており、それぞれ御役所という名の住まいを与えられています。町年寄は奈良屋、樽屋、喜多村の3家が代々世襲で勤めました。
さらに、この町年寄の下には名主がつきます。この名主は、もともとこの付近に住んでいた町人がなることが多く、草分名主とも呼ばれていました。大体1人の名主が5~8町をとりしきっていたので、なかなかの忙しさだったようです。
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