「朝顔に つるべとられて もらい水」・・・江戸時代に加賀の千代女が詠んだ有名な一句(落語「加賀の千代」でも有名)。朝顔は今も昔も夏の風物詩として日本人に愛されてきました。
平成29年も7月6日~8日の3日間、入谷の朝顔まつりが開催されています。毎年、入谷鬼子母神を中心に、多くの朝顔業者や屋台が軒を連ねる人気の祭りです。
画像:入谷朝顔まつり公式サイト
入谷の鬼子母神の朝顔市は江戸時代の文化文政期に始まったとされ、同時期に江戸では空前の朝顔ブームが起きていました。文化3年ごろ、大火で焼けた江戸下谷の空き地を利用して、近所の植木職人たちが何百という朝顔を一斉に栽培したところ、様々な種類の朝顔が咲いたというのがブームの発端だったといわれます。
八重咲き、斑入り、切れ込み入り・・・。当時は遺伝子研究などがなく、なぜ変化朝顔ができるのか全く分かっていませんでしたから、とにかく1か所で大量の朝顔鉢を栽培し、自然交配による突然変異や遺伝子異常などの偶然にかけるしかありませんでした。それでも江戸っ子たちのまっすぐな情熱に朝顔たちが応えたのか、偶然にしては大量すぎるほどの様々な種類の朝顔がぽんぽん生み出されていきました。江戸時代末期には、その数なんと、1000種以上。
そうした変化花の中には種を作ることができないものも多くあり、江戸時代の文献や絵には残っているにもかかわらず、現在では見ることのできない花もたくさんあります。下谷や御徒町周辺の植木職人たちは、毎年競い合うように不思議で面白い変化朝顔を生み出して、「どうでい、こっちはこんな珍しい花が咲いたぜ」「いやいやこっちだって負けちゃあいねえぞ」と自慢しあっていたことでしょう。
江戸の文化文政期と言えば世間のムードは退廃しきり、美人画のブームも寛政期以前の鳥居清長らの「正統派スレンダー美女」ではなく、渓斎英泉らのどこか屈折したような「ひとくせある妖艶美人」ブームが巻き起こった時期。
朝顔もそれと同じく、正統派の綺麗な花よりも、見た事もないような変わった姿かたちの変化花の方が庶民の退廃的な感覚にぴったりきたようです。
今年もたった3日間、江戸の朝顔ブームの熱気がよみがえる入谷朝顔まつり。ぜひとも浴衣や夏着物で、気軽に出かけてみたいものです。