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徳川家康が粗末な江戸城に入城したのは、江戸のポテンシャルに気づいたから?:2ページ目
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江戸のポテンシャルに気づいた家康
でも、家康はこれをポジティブに捉えたのです。東方にある江戸は発展の可能性があると考えたわけですね。江戸には高橋という港があり、武蔵野台地もありました。かつて高橋は港町として賑わっていたし、武蔵野台地には品川台地・麻布台地・麹町台地・本郷台地・上野台地と5つの台地があり、実に広大でした。
そして、慶長3年(1598)に豊臣秀吉が伏見城で亡くなったことをきっかけに天下の争奪戦がはじまり、慶長5年(1600)に徳川家と豊臣家の間で関ケ原の役が勃発、徳川家が勝利をおさめました。
江戸の都市計画が始動
これを受けて慶長8年(1603)に家康が征夷大将軍になり、まず考えたのが、幕府をどこに開くか、ということ。ここで家康は江戸に幕府を開くことを決めたのです。つまり、江戸開府ですね。こうして、江戸を日本の中心になるよう新しい江戸城と城下町の都市計画を本格的に考え始めます。
ここで思いついたのが、「の」の字型大拡張計画。これまでつくってきた町に加え、外側にある自然の地形も生かしながら、江戸城を中心に「の」の字を書くように右渦巻き状の堀を発展させようという計画です。
さらに「の」の字型の堀に放射状に五街道(東海道・中山道・甲州道中・奥州道中・日光道中)を組み合わせようという考えでした。そうすることで、武家地の消費活動を町人地の経済活動でまかない、江戸はどんどん発展することができたのです。
江戸に入る前に、すでに城下周辺の地形を色々と調査も済ませていた徳川家康。江戸の可能性にいち早く気が付いていたからこそ、江戸城に入城したのですね。
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