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そうだったの?江戸時代 江戸時代、娼婦は吉原の遊女以外にもいた。まるでアルバイト感覚の提重や夜鷹

江戸時代、娼婦は吉原の遊女以外にもいた。まるでアルバイト感覚の提重や夜鷹

夜鷹には熟女もいた?

夜鷹は、夜に街頭で客をとって、樹木の影などにむしろをしいて売春を行う私娼です。黒ずくめの着物姿でむしろを小脇に抱える姿が、トレードマーク。夜鷹屋という店に登録して、そこで着物や小道具など必要なものを貸し出してもらう人が大半でした。夜鷹になるのは、吉原の年季が明けたけど行くところがない遊女、夫の稼ぎが少ない女や未亡人など様々。年齢も様々で、中には50代・60代の夜鷹もいたとか。江戸中期には数千人の夜鷹がいたというから、すごいですよね。

船饅頭は、河岸で船に客を乗せてから川に出て、戻ってくるまでの間に事を済ませます。夜鷹同様に暗闇なので、はっきりと顔を見ることができません。そこで客は、船にのっている火鉢に火をつけて、娼婦の顔を見るのだとか。ちなみに饅頭は、女性を表す隠語のこと。

地獄という私娼は、揚げ代も色々。年齢も、きっと夜鷹と同じように様々だったのでしょう。名前からして、なんだかスゴいですよね。

吉原の遊女は年季奉公の身なので、年季明けまで働き続けないといけませんが、私娼は違います。アルバイト感覚なので、ちょっとお金がほしくて…という人もいたようです。吉原の遊女からしてみると、提重たち私娼がある意味羨ましかったのかもしれませんね。

参考文献:お江戸吉原草紙 田中香織

 

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