お寺や道端でよく見る“あの石碑”の正体は?実は平将門の首塚にもある、知られざる中世の遺産「板碑」:2ページ目
青みがかった石はどこから来たのか?
板碑を観察すると、石材にも特徴があることに気づきます。
関東地方でよく知られているのが、秩父地方などで産出する緑色片岩(りょくでいへんがん)を使った板碑です。青みがかった色合いから「青石塔婆(あおいしとうば)」とも呼ばれています。
こうした板碑は関東地方を中心に広く分布しています。一方、地域によって使われる石材や形状には違いがあります。
石材の産地と板碑が残る場所を比べることで、当時の石材の運搬や加工、各地への広がりについても考えることができます。板碑は、仏教への信仰を示すだけでなく、中世の人々の活動や地域間の交流を知る手がかりにもなるのです。
石に刻まれた人々の願い
板碑には、造立した年月日や願主の名前が記されているものがあります。こうした記録は、当時の人々の信仰や地域社会を知るうえで貴重な史料です。
歴史というと、武将や合戦、政治の動きが注目されがちです。しかし、板碑に目を向けると、そこにはまた違った歴史が残されています。亡くなった人を供養し、自分自身の死後にも思いを巡らせ、仏に祈りを捧げた人々。板碑は、そうした人々の信仰を今に伝えています。
平将門の首塚に建てられた板石塔婆も、供養という形で死者と向き合ってきた歴史を伝える一例です。石造物を通して見ると、歴史上の人物にまつわる伝承だけでなく、その人物を供養しようとした人々の信仰にも目が向きます。
関東では、道端や寺院、墓地などで板碑を見かけることがあります。あまりにも身近なため、特別なものだと意識する機会は少ないかもしれません。
けれど、その一枚の石には、造立した人の名前や年月日、仏への祈りが刻まれていることがあります。
次に板碑を見かけたら、少し足を止めて、石の形や刻まれた文字を眺めてみてください。何百年も前の人々が何を願い、誰を思って供養塔を造ったのか。身近な風景のなかに、中世の人々の信仰を知る手がかりが残されています。
参考文献
- 服部清五郎『板碑概説(1933 鳳鳴書院)
- 千々和到『板碑とその時代』(1988 平凡社)
- 千々和到、浅野晴樹 『板碑の考古学』(2016 高志書院)


