「卑弥呼」は偉大な女王だった!「三国志」の動乱を読み大国・魏から“破格の待遇”を勝ち取った知略:3ページ目
卓越した国際感覚と外交戦略を備えた卑弥呼
魏は呉を統制するために、倭を重要視しました。しかし、倭にとっても魏の後ろ盾は必要であったのです。
当時の邪馬台国の状況をみると、倭国連合の中心ではあったものの、決して安泰ではありませんでした。それは、南方の狗奴国との争いが続いていたからです。
それゆえに、魏という大国の後ろ盾を得ることは、倭国内での優位を確立するうえで極めて有効でした。つまり、魏の威光で狗奴国との争いを平定しようとしたのです。
そして、ここでの卑弥呼の動向が、従来の彼女の実像を覆すことになります。それは卑弥呼が、魏に対して邪馬台国を安売りせず、魏と呉の対立関係を巧みに利用する外交手段を取っていたと考えられるのです。
魏を海上から牽制するために、遼東半島へ使者を送った呉の孫権は、さらに東方の海上世界にも関心を向けていたことは想像に難くありません。
考古学的にも、兵庫県の安倉高塚古墳などから出土した呉系の鏡を、その手がかりとみる説があります。つまり魏と呉の対立は、邪馬台国をめぐる外交にも大きな影を落としていた可能性があるのです。
卑弥呼は、このような複雑な国際情勢を読み切ったうえで、魏に使者を送り、倭国の立場を大きく引き上げました。
そしてこの選択は、魏にとっても邪馬台国にとっても大きな意味を持つ外交判断となります。239年、卑弥呼の使者は魏の都・洛陽を訪れました。このとき魏は卑弥呼に「親魏倭王」の称号と金印、多くの下賜品を与えたのです。
実は、この「親魏~王」という称号こそ、卑弥呼にとっては大きな意味がありました。魏からこの称号を得たのは、クシャーナ朝のヴァースデーヴァ王と、邪馬台国の卑弥呼だけであったとされるからです。
「親魏倭王」の称号は、単なる朝貢関係ではありません。それは魏にとって倭が戦略的に重要な存在であったことを示しているのです。
いかがでしたか。卑弥呼は、魏と呉という二大国の力関係を冷静に見極め、邪馬台国の存在を外交上の切り札として生かすことで、中国の大国から破格ともいえる待遇を引き出したのです。
このように考えると、卑弥呼は政治的権力を持たないお飾りではなく、卓越した国際感覚と外交戦略を備えた真の女王だったといえるのではないでしょうか。
※卑弥呼に関しては、こちらの記事でも詳しく紹介しています。ぜひ合わせてご覧ください。
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※参考文献
NHKスペシャル取材班著 『新・古代史』NHK出版新書




