【豊臣兄弟!】実際にあった興福寺の呪詛!怪演・磐覚の“仏罰”の元ネタ「名を籠める」の威力が凄まじい:2ページ目
史実に伝わる「名を籠める」呪詛の儀式
実は、室町時代、名前を書いて相手を呪うという、「名を籠める」呪詛のような儀式が存在していました。
文明18年(1486)の3月、大和国最大の荘園領主だった興福寺は、年貢を横領して一銭も納めない箸尾為国(はしおためとも)に談判するも話し合は決裂。
罪状・名前・日付を記した紙片を仏前に捧げて、その身に災厄が降りかかるよう祈る「名を籠める」儀式を行いました。
紙片は、興福寺の5社7堂に籠められ数多くの僧が読経で為国を呪いました。すると、翌月、箸尾が支配する村では「悪病」が流行し100以上もの人々が続々と死んでしまうという出来事が起こり、「名を籠める」呪詛の影響だと人々は恐れたそうです。
呪詛の方法としては、七堂のひとつである南円堂に「仮屋」を建て、そこに多数の興福寺の僧侶が集結して一斉に般若経を転読する「南円堂郡参大般若」が一般的だったのではないかと思われる。(名字を籠める」という刑罰について/九州大学学術情報リポジトリ)
また、寛正5年(1464)にも前例が。
越前守護職の朝倉孝景も、「名を籠める」呪詛の対象とされ屈した人物です。
孝景は、荘園管理職になると次々と年貢を横領。越前にある興福寺所有の荘園のうち自分の従わない村を焼き討ちにしました。
興福寺は事の次第を室町幕府に訴えたものの、幕府も孝景には強く出れず話は進展しないまま。そこで、「名を籠める」呪詛が開始されたのです。
さすがの孝景も呪詛を恐れ、興福寺で力を持つ大物の経覚に泣きつき呪詛を止めるように頼んだそう。
その後、孝景は経覚や寺の僧達に「今後、興福寺をなおざりにすることはせず、忠節を尽くす」起請文を提出し謝罪しました。
ドラマの磐覚は創作の人物ですが、祈り場面は「仏罰がくだる」という場面は、この「名を籠める」呪詛をイメージしたものかもしれませんね。
