【風、薫る】バーンズ先生の“6つの種”は生きていた!ツヤとヒデ11年ぶり再会で見せた予想外の姿と伏線回収:3ページ目
鈴木雅と日本初の女性医師・荻野吟子との活動
明治時代、苦難を乗り越えて、近代的な西洋医学に基づく国家資格を取得した公許女性医師は何人かいます。
ヒデは、そのうちの誰かをモデルにしているかどうかは不明です。
けれども史実では、直美こと鈴木雅は、実際日本で最初の公許女性医師である荻野吟子と関わり、共に女性のための活動を行なっています。
⚫︎大日本婦人衛生会(私立大日本婦人衛生会)の組織
「婦女子に衛生知識を普及し、社会の幸福を増進すること」を目指して明治20年(1887)頃に設立された組織です。
荻野吟子が幹事として中心的役割を果たし、鈴木雅も参加して組織に関わったそう。皇族の依仁親王妃周子が総裁を務め、大山捨松や鍋島栄子など上流層の女性も参加していました。
⚫︎『婦人衛生雑誌』(『婦人衛生会雑誌』)の刊行
大日本婦人衛生会の機関誌として1888年頃から発行した『婦人衛生雑誌』は、衛生講演の内容や、家庭衛生・育児・婦人病予防などの知識を広めるための雑誌です。
荻野吟子は創刊号に「本会設立の主旨」を寄稿しています。鈴木雅もこの普及・啓発活動に貢献したとされています。
看護婦を増やすため育成する立場へ
『風、薫る』もラストが近づいています。
そのため、なつかいの過去の登場人物が登場していますよね。
看護婦養成学校にて、バーンズ先生が看護婦の種を蒔いてから10年くらい。
ちょうど、大関和も鈴木雅は38歳ごろでしょうか。
まだ学生の頃に「Notes on Nursing(看護覚え書)」を苦労して読み、学び、大学病院で実地の体験を積み、二人ともさまざまな場所で“看護”とはなにか“看護婦”とはどのような仕事かを、地道に人々に教えてきました。
そんな二人は、その経験を生かして、次は若い看護婦を育成し知識を持つ女性を増やしていく立場へとなっていきます。
この先『風媒花』のように、“風”に吹かれた“看護の種”がどんどん広がり、バーンズ先生の夢が叶う未来が待っています。
最後に
現代、街のクリニックでも大きな総合病院や大学病院などでも、医療の現場で働いている看護師の方をたくさん見かけます。
患者の命を助け・支え・寄り添う“看護”という職業。治療や入院経験をして、そのありがたみを実感した人は少なくないでしょう。
また、この仕事は知識だけではなく、なみなみならぬ精神力や注意力などが必要とされる大変な仕事であることも……。
以前のドラマでのワンシーン、あの小さな梅ヶ丘看護婦養成所の教室でバーンズ先生が語った、「看護婦が日本のどんな病院にも当たり前にいるようになる」が令和の今、実現していると思うと胸熱です。
ツヤは、無事看護婦試験に合格できるのでしょうか。また、柳生藤次や土居ヒデは、この先ヒロインたちとどう関わっていくのか、最後まで見逃せませんね。
※下記記事:
『風、薫る』看護の実用書執筆へ!ついにフィナーレ最終週(9月21日〜)あらすじ&場面写真、相関図が公開
参考:
・上越市公式HP
・せたな町「日本人女医第一号荻野吟子」
・荻野吟子をめぐる研究史
―医師としての困難に関する考察とともに―
・派出看護婦会の存続と転換 山下麻衣


