『豊臣兄弟!』ついに「秀長」誕生!織田信雄のその後、丹羽長秀の最期は?第35回「小牧・長久手の戦い」深堀り:4ページ目
丹羽長秀の最期は?
小一郎に「(お互い長秀という諱では紛らわしいから)次会うまでに名を変えろ」「秀吉に信長公を越えさせろ」と言って別れた丹羽長秀。ナレーションでこれが最後と告げられますが、丹羽長秀はどんな最期を遂げたのでしょうか。
時は天正13年(1585年)4月16日、丹羽長秀は寸白(すんぱく。寄生虫サナダムシ)のために亡くなりました。享年51歳。
『多聞院日記』によると、苦しみ悶える中でも武士として最期を遂げるために自刃して果てたと言います。劇中では穏やかな性格で豊臣兄弟と接してきましたが、実際には激情を秘めた人物だったようです。
こうしてまた一人、信長時代からの古参家臣が退場し、時代は着実に進んで行くのでした。
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長秀から秀長へ改名した小一郎
オープニングで「羽柴美濃守長秀」となっていた小一郎。これからも小一郎と呼ばれ続けると思いますが、名前の変遷を改めて確認しましょう。
『太閤素生記』によると、幼少期は小竹(こちく)とあだ名されたそうですが、史料的な裏づけはありません。
やがて元服して小一郎と改名し、織田家臣となった当初は木下小一郎長秀と称しました。これは織田信「長」と木下藤吉郎「秀」吉を合わせたものと考えられています。
天正3年(1575年)ごろに羽柴小一郎長秀と苗字を改め、天正12年(1584年)5月4日付の書状では羽柴「美濃守」長秀と署名していました。そして同年6~9月ごろに長秀から秀長と改めたのです。
これはかつて信「長」すなわち織田家をいただいてきた「秀」吉が、力関係の逆転によって秀を長の上に持って来たためと考えられます。
ちなみに三好信吉も、小一郎と同時期に、信吉(信長=織田家をいただく状態)から「秀次」と改名しました。
諱は秀長で終生変わりませんが、まだまだ立身出世の街道をひた走る豊臣兄弟。呼び名の変遷も表現されるのか、これからも見守っていきましょう。
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第36回放送「姫若子と鬼若子」
信雄(山脇辰哉)と和睦したことで、秀吉(池松壮亮)と家康(松下洸平)の戦はいったん収束。だが四国では、四国一統を悲願とする長宗我部元親(磯部寛之)が反旗を翻す。秀吉は、四国攻めの総大将に秀長(仲野太賀)を指名。秀長は、世に秀吉の力を誇示するため、天然の要害・四国を圧倒的な力で攻め落とす大規模作戦を実行する。そのころ秀吉は、ある重要な目的のため京を訪れていた。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
さて、次週は小一郎が総大将を務める四国攻めが描かれるようです。姫若子と侮られてきた長宗我部元親(磯部寛之)が「鬼若子」に変身する雄姿が見られるのでしょうか。
かつて「土佐に来たら、美味い酒と魚をご馳走してやる」と言われていた小一郎ですが、果たして美味い酒が酌み交わせるのか、楽しみに見届けたいと思います。
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