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『豊臣兄弟!』千利休(吉岡秀隆)ついに登場!なぜ信長や秀吉は「茶の湯」にここまで傾倒したのか?

『豊臣兄弟!』千利休(吉岡秀隆)ついに登場!なぜ信長や秀吉は「茶の湯」にここまで傾倒したのか?:2ページ目

遊びの茶から「侘び茶」へ

遊興娯楽としてのお茶が流行する一方で、禅の思想などから、世俗を離れた簡素な生き方を理想とする茶の湯も生まれました。

その先駆者とされるのが、室町時代の茶人・村田珠光(むらたじゅこう)です。珠光は大徳寺の一休和尚に参禅したと伝えられ、唐物を中心としたそれまでの茶の湯に対して、簡素な草庵の茶を志向した人物でした。

彼は信楽・伊賀など素朴な国産の茶道具にも目を向け、華美な唐物だけを尊ぶのではなく、不足のなかに美を見いだそうとします。これが、後の「侘び茶」へとつながる大きな一歩となりました。

そして珠光の茶風を受け継いだのが、堺の豪商・武野紹鴎(たけのじょうおう)です。紹鴎は田舎屋のような草庵分風の茶室を用い、質素な空間のなかに精神性を求める茶の湯をさらに発展させました。この茶の湯は、京都や堺の富裕な町衆の間にも受け入れられていきます。

そして紹鴎の思想を受け継ぎ、さらに深めた人物が千利休(宗易)でした。利休は、茶室や茶道具、作法にいたるまで、徹底して簡素化を進めます。

そこに表現されたのが、「やつしの美」と呼ばれる美意識です。やつしとは、高い身分や豪華さをあえて隠し、質素で目立たない姿に身を落とすこと。そうすることで、かえって奥深い趣や気高さを表現するのです。

こうして利休は、禅の精神を背景に簡素な空間と道具、そして人をもてなす心を一体化させた「侘び茶」を大成していきました。

3ページ目 信長、秀吉を魅了した千利休

 

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