【豊臣兄弟!】前田利家がまさかの撤退!「賤ヶ岳の戦い」裏で妻・まつはどう動いたのか?:4ページ目
まつは前田家の中で発言力があった
夫・利家を叱咤激励することもあったと伝わるまつ。
一次史料には直接残る逸話は見当たらず、多くは江戸時代初期以降の軍記物や二次史料・伝承に基づくものです。
興味深いのは『利家夜話』の「前田利家は能登国を嫡男の、利長に譲る」の項目。
一、 大納言様、能登国を孫四郎様へ御渡なされ候時、村井豊後を下され候様にと仰せられ候、さなく候はゞ、奥村伊予を下され候へと、表向より斎藤刑部・岡田長左衛門御使にて、御訴訟候へば、御内証よりも、御母儀様仰せられ候へば、尤も孫四郎申す如く、世上無事に候故に、孫四郎は取合はず、肥前は、信長なされたる事も、若年の頃、二三度も見申し候、其上柳ケ瀬の大きなる人数立も見申し、
現代語に意訳すると、「利家は、村井豊後(村井長頼)を利長付きとして与えていただきたい。もしそれが無理なら、奥村伊予(奥村永福)を付けていただきたいと考え、表向きには斎藤刑部・岡田長左衛門を使者として、その旨を申し入れた。
すると、利家の内々の考えからも、御母儀様(利長の母・まつ)がおっしゃったことからも、当然のことであるということになった。」
この、「御内証よりも、御母儀様仰せられ候へば」という短い文に注目です。
利家が長男・利長の家臣団を整える際に、「御母儀様(まつ)」の意見も考慮されていたことが読み取れます。
まつが利長の将来や身辺について、少なくとも利家家中で一定の発言力を持っていた可能性が見えてくるような感じです。
ただ夫の身を案じるのだけではなく、嫡男・利長の将来を考えて、思ったことをはっきりと発言する母だったのかもしれません。
最後に……
これらの逸話から、まつは「夫を堂々と意見する強いしっかりものの妻」というイメージが、ドラマなどで強くなっていったそうです。
史実として確かなのは、戦国時代、まつが7人もの子を産み育てて前田家の存在に大きく寄与したこと。
のちに、豊臣政権の外交を支えていく立役者となる利家は、かっとなって猪突猛進するイメージもありますが、ときの権力者が交代する際にはすぐに対応して上手に世を渡っていく機知も持ち合わせていたともいわれます。
そんな夫をあるときは叱咤激励しつつ、しっかり発言していくまつが、今後どんな女性に描かれ活躍していくのか楽しみです。
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参考:
・金沢文芸館HP 第2回伝承文芸講座 加賀百万石の礎を築いた芳春院まつの物語です
講師:藤島 秀隆(金沢工業大学名誉教授)
・利家夜話


