【豊臣兄弟!】前田利家がまさかの撤退!「賤ヶ岳の戦い」裏で妻・まつはどう動いたのか?:2ページ目
なぜ…夫・利家は戦いから撤退したのか
「清洲会議」により決定的に対立した羽柴秀吉と柴田勝家。
天正11年(1583)、滋賀県長浜市の賤ヶ岳付近で柴田軍 VS 秀吉軍の『賤ヶ岳の戦い』が勃発しました。
琵琶湖北岸で睨み合いのこう着状態から、一時は柴田軍が有利になったものの、秀吉が驚異的な猛スピードで現場に駆けつける『美濃大返し』で一気に形勢不利な状態になります。
それとともに、打撃を与えたのが利家の撤退でした。
利家、なぜ?……に関して明確な理由を記した一次史料はないそうです。『賤岳合戦記』など軍記物でも、利家の布陣や行動などの記述はあるものの「なぜ退いたのか」という動機までは書かれていません。
状況証拠や後年の研究などによる代表的な説を要約して挙げると……
▪️勝家の命令で利家が秀吉のもとに講和交渉に出向いたとき、実は密約を交わしていた。その褒美として、戦後に勝家は加賀2郡を加増された。
▪️若いころから仲がよく、妻同士も交流があり、実子の豪姫を秀吉に養女に出しているという深い関係が断ち切れず秀吉を選んだ。
▪️冷静に誰が「天下人になれる器か」と考えると勝家ではなく、要領よく物事を動かす秀吉だろうと判断した。
▪️利家は勝家の「与力」なので主従関係ではなかった。戦況をみて柴田軍が劣勢になった時点で、勝家に殉じて前田家を滅ぼすよりも、存続を考えて撤退した。
最後は、現在最も有力視されている傾向にあるそうです。
利家を責めず秀吉のもとへいけと告げる勝家との別れ
『賤岳合戦記』には、
勝家府中の城に至前田父子に対面し此中苦労の段一礼ねん比にのへつゝ極軍のせめに遇て如此の次第更に言葉もおはしまさす候急き湯漬を出され候へと心静に食し痩さる馬を所望し急き給へり利家も送候はんとて立出られしを辞し返し候ひけるか又よひかへし其方は筑前守と前々入魂他に異なり必今度の誓約をひるかへし安堵せられ候へと云捨てわかれにける
という場面が書かれています。現代語に意訳してみると…
「勝家は府中の城に至り、前田父子に対面し、『このたびのご苦労の段、ねんごろに一礼申し上げます』と述べました。
激しい責めに遭ってこのような次第となり、もはや言葉もありません、『急いで湯漬けを出してください』と、心静かに食事をし、痩せた馬を所望して急いで発たれました。
利家も『お送りしましょう』と立ち出ようとしましたが、辞退して押し返し、さらに呼び返して、『その方は筑前守(秀吉)と以前から親しく、他とは異なる間柄である。必ず今度の誓約を翻して安堵されよ』
と言い捨てて、別れました。」
撤退した利家を責めず働きに礼を言い、これからは秀吉につくようにと去っていく。
誇り高く自身の信念に忠実だった勝家らしさが伝わる、見事な別れでした。
軍記にある創作や脚色などはありうるとは思いますが、まさにドラマとして描きがいのあるエピソードでしょう。

