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富岡製糸場を消滅から救った男。派手な英雄の影で「日本の近代化」を現実にした楫取素彦の執念【後編】

富岡製糸場を消滅から救った男。派手な英雄の影で「日本の近代化」を現実にした楫取素彦の執念【後編】:3ページ目

地域の社会問題にも向き合う

群馬県令としての仕事は、それだけではありません。群馬県内の廃娼問題にも取り組んでいきます。

1882(明治15)年には、伊香保村を対象に廃娼令を出しました。その後、廃娼の動きは県内へ広がっていきます。そして、群馬県令を退いた後も、楫取の仕事は続きました。元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員などを歴任し、1887(明治20)年には男爵となります。1912(大正元)年、楫取は、84歳で亡くなりました。晩年は、妻の美和子とともに山口県防府で暮らしたとされています。

日本の歴史を勉強していると、どうしても吉田松陰や高杉晋作、坂本龍馬のような、目立つ人物に目が向きます。何をした人なのかも分かりやすい。それは当然です。

でも、実際に社会が変わっていくときには、もっと地味な仕事がたくさんあります。学校を作る。先生を集める。産業を育てる。技術を広める。地域の人たちを説得する……。

誰かが大きなことを言ったあと、それを現実の社会へ落としていく。楫取素彦が群馬でやっていたのは、まさにそういう仕事だったのでしょう。決して派手な人生ではありません。けれど、誰かが掲げた理想を、実際に人が暮らす社会の中で形にしていく。そんな地道な仕事を積み重ねた人物でした。

参考文献

  • 楫取素彦没後百年顕彰会編『男爵楫取素彦の生涯』(2012 毛利報公会)
  • 中村紀雄著『楫取素彦 吉田松陰が夢をたくした男』(2014 書肆侃侃房)
 

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