朝ドラ『風、薫る』りんの「手」が佳枝(相田翔子)の心を解く…史実に残る“最善を尽くす”派出看護婦の心得とは:4ページ目
どんな時もいかなる時も「最善を尽くす」
実際、大関和の著作物『派出看護婦心得』初版明治32年刊行)、『実地看護法』( 初版1908明治41年)には、実に事細かに看護の方法などが記されています。
『実地看護法』のほうは、さまざまな病状の看護方法から食事や病室の換気や清潔方法などが記されているとともに、「患者に接するときは慈愛と忍耐を持つこと」というような心のあり方まで書かれています。
さらに、看病のために病室に赴くことは「軍人の戦場」と同じとして、仮眠をとる、病室では飲食は禁止、自分たちも清潔に努める……なども記されています。
現代のように、患者の様子やデータをPCで管理したり便利で衛生的な看護用品があったりしても大変な仕事なのに、いかに大変な仕事だったかを感じます。
『派出看護婦心得』のほうも、患者宅に向かう看護婦の心得や、患者宅での部屋・衣服・便所の消毒や、流動食の調理法などを詳しく記載。
もちろん、電子レンジなどはない時代。蒸す・煮るなどの流動食のメニュー(しかも洋食も)が具体的に書いてあるのも驚きでした。
そして、最後の項目『市立病院派出看護婦の心得』の
「どこにあっても如何なる場合に於いても最善をなす可き事」
最後の一行に、ドラマでの過去の場面が蘇って、静かに胸がじんとする思いでした。
手術前夜、眠れない和泉千佳子侯爵夫人(仲間由紀恵)に一晩付き添ったこと、かつて暮らした長屋の大家さんの病状が急変して最期まで看取った夜、心中事件で担ぎ込まれた女郎の夕凪(村上穂乃佳)を守ったこと、
そして、自らも恐怖にさらされながらも、赤痢の感染が広がった村の避病院での防疫活動の大奮闘……
そんな、大変な場でも「最善をなす可き事」と肝に銘じて活動した人々がいたのかと思うと、短い一行ながら心に残る言葉だと思いました。
戦争によって変化していく「看護婦」への評価
鈴木雅が「慈善看護婦会」を設立した明治24年頃も、まだトレインドナースの存在や「看護」という認識は不足していました。
けれども、日清戦争(※)をきっかけに、はじめて日赤の看護婦が陸海軍の病院に招集されて活躍をしたことが世間に知られ、看護婦に対する認識はガラッと変わっていったといわれています。
※日清戦争:明治27年(1894)7月25日〜明治28年(1895)4月17日にかけて、日本と清国の間で勃発した戦争
ドラマでは、りんとシマケン(佐野晶哉)の距離が近づいたり(また離れ離れになりそうではありますが)、「恵風看護婦会」も順調に経営ができたり、直美が小川吾郎(甲斐翔真)と結婚したり、しのぶ(木越明)がおめでただったりと、日常でさまざまなことが起こっています。
「恵風看護婦会」を立ち上げてから1年以上は経過しているので、今は明治25〜6年くらいのことでしょうか。日清戦争まではすでにあと1年ほどです。
それぞれの日常生活が激変していくのでしょうか。暗雲が待ち受けるようで胸騒ぎがしますが、この先を見守りたいと思います。
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参考:
・慈恵大学「東京慈恵医科大学130年 歴史」
・環境再生保全機構 大関和に学ぶ看護師誕生の歴史
・大関和 著『派出看護婦心得』
・大関和 著『実地看護法』



